見出し画像

『グッバイ日常譚』第三話 執着(後編)

机の上に置かれたストラップ、横には黒く無機質な盗聴器が置かれている。
さらによく目をこらしてみるとそれは一枚の紙切れであることがわかった。あ、と思った時には住職が既に手を伸ばし袈裟の中にしまうのが見えた。Cは気付いていない。自分のプレゼントに盗聴器が仕掛けられていたなんて現実をまだ受け止められていないのだろう。
小動物のように体を震わすCに宥めるように穏やかな口調で住職は話しかける。
「Cさん、もしかしたらあなたはこの盗聴器の存在を直感的に感じ取り、それが視線のように感じていたのかもしれません。わかりやすく表すのならば、この盗聴器があなたに生き霊のような存在として憑いていたのかもしれないです。もし気になるようでしたらこちらのお人形は私共で引き受け、ご供養させていただきますがどうしますか?」
Cはコクコクと頷く。どれだけ愛着のあったストラップでもこんなことがあれば手放す方が安心だろう。
怯えている顔があまりにも痛々しかったため、八谷はお茶を呑んで落ち着くよう勧めた。少し落ち着いたのかCは改めて笑顔で、帰ったら事務所に相談してみると言って立ち上がった。
帰るCを見送るため住職と八谷は共にN寺の門まで行った。門の少し近くでスマホを触っているかと思えば、ハッと二人の方へ向き直り再び会釈した。その後も少し歩くたびに振り向いてこちらに手を振る彼女は芯から明るくかわいい人なのだろう。
八谷はCに視線を向けたまま住職に尋ねる。少しの好奇心に負けたのだ。
「本当に盗聴器だけが原因だったんですか?なんかさっき住職が紙切れみたいなのを隠したのが見えたんですけど」
住職もまたCに目を向けたまま八谷に言った。
「ひとまず本堂に行きましょう」
それは答えになっているのかと八谷は疑問に思ったまま、住職と共に本堂へと向かった。

さて、と一息つくと住職は本堂に正座をしてその前に件のストラップを用意した盆の上に置いた。八谷は空気を読んでストラップを挟んで住職に向かい合うよう座った。
「八谷さんはこのお人形を見ても特になにも感じませんか?」
突然の問いに八谷は少し戸惑う。改めてしっかりと見てみるがなにも感じない。素直にそう伝えた。
「私には呪が見えるのです。このお人形は黒くドロドロとしたなにかに覆われているように私には見えています」
住職の言葉を素直にはいそうですかと受け入れることは前までの八谷には難しかった。だがつい最近、不思議な力のようなもので助けられていたので、八谷は住職のことを超常的なことができる人だと再認識していた。だからこう言われてもそうなんですねと受け止められる体勢になっていた。
住職はそんな八谷の返答を聞きさらに説明を続ける。
「先ほどは盗聴器が出てきましたが、このお人形にはそれ以外が多く含まれています」
そういうと住職は右足の糸をハサミで切り開いていく。少量の綿と黒い糸屑のようなものがこぼれた。糸ではない、人の髪であった。
八谷の悲鳴が小さくこぼれる。住職はそのまま左足を開く。同じように綿と、今度は人の切られた爪であろうものがバラバラと出てきた。
「気持ち悪いですね…誰がこんなことを……?」
思わず疑問が口に出る。
「Cさんの周りで誰か亡くなっている人はいませんか?」
その言葉で八谷は思い当たる話があった。住職にCが話していた事務所のDという社員が過労死したことを伝える。
「このお人形を使って行われていた呪法は、自身の命を対価に払う必要があるものです。おそらくはそのDさんが執り行ったのでしょう。急いで解呪しなければCさん自身も危ないです」
説明もそこそこに急いで解呪の儀を行う。盆の上に置かれたストラップに先ほど隠していた紙切れを添え、清めた塩と水をそこにかけ八谷にはわからないお経のようなものを唱える。
ふうと一息ついた住職は淡々と話し始める。
「このお人形を覆う呪の黒いドロドロ以外に、Cさんを後ろから抱き締めるように纏わりついていた人ならざるものが見えたのです。おそらくあのままではCさんを殺しかねない、そんな様子でした。生前の彼の執着がそうさせていたのでしょう」
「彼?」
八谷は住職の説明を聞きながら疑問を口にした。人ならざるもの、とやらを八谷は見ていないがどうして生前の性別がわかるのだろうか。住職はふっと微笑み答える。
「左手薬指のほくろ、聞いたままのものでした。それに背格好などが男性に見えました。彼の口から漏れる声は、Cさんのことを本名で呼んでいたのです。Cさんはファンの方には本名を公表していないそうですし、おそらくバレているというわけでもないのでしょう。そこで、本名を呼んでくる、彼女に執着のある、そしてなにより彼女の周りでつい最近亡くなられたのは、そのDさんだけですから」
八谷は合点がいったという顔をしてからすぐにぞっと背筋の凍る思いになった。
純粋に死を悼んでいた相手に呪とやらをかけるなんて。思わず顔を顰める。
「まあ、恋というものは人をおかしくさせるものですからね。それが結果として執着と為ってしまったのでしょう」
「そういうもの、なのでしょうか」
少し冷たい風が二人の間を抜ける。秋の室内とはいえ本堂で吹く隙間風はもう冷えている。

そろそろ寺の事務所に戻ろうかと立ち上がりかけた瞬間、住職が八谷さんと呼び止める。
「今回のDさんが行ったと思われる呪法も、先日Bくんが行った呪法も、どちらも何者かが意図的に呪法を流布しようとしています」
意味がわからないといった八谷を置いて、住職は一呼吸すると続けた。
「それも悪意を持って、です」
より一層わからないという顔をする八谷を見遣り、苦虫を噛み潰すような表情で住職は話し始めた。
「このマーク、見覚えがありませんか?」
盆の中で清水と塩に塗れた折られたままの紙切れを手に取り開いてみせる。確かにBくんのランドセルから出てきた紙にもこんなマークが描かれていたなと思い出す。
「この紙に書かれている呪法の手順ですが一つだけ書かれていないようです。それは手順の最後である、『自身の命を絶たなければ呪法は完成せず、その前の段階まで呪法を進めた時点で止めることはできない。故にもし自ら命を呪法に捧げずとも必ず絶たれることとなるだろう』という内容です」
命?絶つ?一体なんのためだろう、八谷のそんな思考が住職にも読み取れたのかさらに話を続ける。
「この呪法は『かけた相手の一番近くに永遠にいられる』といったものです」
それは随分と女子小学生にウケそうなタイトルだな、とどこか現実感を失った八谷は思う。
「ですが、この永遠というのは人体では叶いませんよね?なぜならいつか体は朽ちるからです。それを越えて叶える、というのがこの呪法の目的なのです。だから人体を捨て霊体になり、かけた相手の一番近くに憑くのです。この呪法はよほど強い執着がなければ遂げられません。亡くなってからも成仏せずずっと相手のそばに留まりたいと願うほど執着していなければ……」
呪法の手順は簡単だった。自分の一部とこの呪法の記された紙を常にかけたい相手に持たせ、他になにも必要とせず、そして命を絶つ。これで完成するのだ。
「この呪法?の一番肝になる部分、命を絶つ必要があるってことを書いてないんですね。それは…確かに悪意としか言いようがないと思います……」
いくら好きな人の一番そばにいたいとはいえ、生きていなければ意味がないように思う。八谷はこのマークの主に嫌悪を抱いた。
「このマークの主、何者なんですか?こんな悪意いっぱいの呪法を広めてどうしたいんですかね」
住職は一瞬、唇を歪めたかと思うとまたいつもの穏やかな表情に戻った。
「私にも、このマークの主が一体なんのために危険な呪法の流布なぞしているのかわかりません。ただ、ずっと昔、私はこの紙切れを手にした友人を喪いました。だからこのマークの主、私は『空』と呼んでいますがこの者の正体を見極め、こんなこと辞めさせたいと思っています。今はまだ…なんにも手がかりは見つかっていませんが……」
初めて住職のこんなに悔しそうな暗い表情を見た。八谷はこの住職もヒトなんだなとどこか場違いなことを思った。そしてあることに気付く。
「そういえば、BくんもCさんもわりとご近所さんじゃないですか?Dさんもきっと事務所のある近くに住んでいたと思いますし」
住職は訳がわからないといった顔をしている。それにかまわず八谷は続ける。
「ってことは、空ってやつわりと近くで活動してたりしません?」
住職は弾かれたように八谷を見る。彼女のいう通りかもしれない。
「これで手がかり、0から1になりましたね」

次の日N寺、事務所にて。
あまりないが、時折N寺のホームページをチェックする。メールボックスも見る。大抵ここは空っぽである。閑静な住宅街にある閑散としたN寺にメールをしてまで用があるという物好きはいない。
今日までは、のことだが。
八谷がルーティーンとしてホームページのチェックをしてみると、そこには何十通にも及ぶメールが来ていた。とりあえず、と一番最新のメールを開いてみるとそれは心霊関係の相談をさせてほしいといった旨のメールで、他何通かも見たがどれもだいたい似通った内容である。なぜ突然こういったメールが増えたのか。一つ思い当たる節があり、そのままブラウザでSNSを開きユーザーを検索する。

「最近ちょ〜困ってたけど、N寺ってお寺でお祓いしてもらったらスッキリした!一応名前は伏せておくね!」
門の前で撮られた目元を隠したセルフィーと共にそんな文章があげられていた。
原因はこれか。酷く大きなため息をつく。
すると後ろから通りがかった住職が声をかける。
「そんな大きなため息、珍しいですね」
他人事のようにいう住職に少しだけ苛つくが、結局この人に泣いて縋るしかないのだ。

「住職さ〜ん!!」

私の日常が関わりたくもない恐怖に侵食されていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?