輝いていた負け犬
だいぶ前のことのように感じられるけど、案外に近い出来事。
ボクは去年の2020年2月に神奈川の横浜アリーナで米津玄師のライブが行われた。ツアー名は「HYPE」で「あざむく」という意味。
初めての彼のライブは興奮した、とても神格化された人だけあって緊張だけは抑えきれなかった思いがある。
だけど、それも登場の瞬間で打ち消されていった。
登場した彼は大きな簾の間から曲の前奏、「LOSER」に合わせてヘドバンしている、そんな彼がボクにはなんだかちっぽけな存在に見えてしまった。
もちろん、歌詞を曲に合わせて歌う様は会場内で輝いていた。ただ、有名という言葉だけが一人歩きしていたせいなのか、間近で見る彼は「人」そのものだった。
途中でMCも何度か織り交ぜながらライブは続いた。曲の誕生秘話や最近の出来事だったり、聞けば聞くほどただの人でしかなかった。
そんな中で彼が放った言葉にひっかかったモノがあった。
昔からライブに行く機会はあったものの、心の底から感情を表に出すような人たちに馴染めなかったと語っていた。だが、自分が披露する側に立ってから見方が変わったと彼は言う。
自身の恥ずかしいだろう過去を語る彼は、どこか輝いていた。
ボク自身、歳を重ねるにつれて感情を思いきり外に出すことが難しくなったように思う。人目を気にし過ぎて恥ずかしさが先行してしまったように、クールなフリして斜に構える態度が知らないうちに染み付いてしまった。
そんな彼の言葉を思い出すと、正確には覚えていないが、
「周りの目は気にしないで、もっと楽しんでください。」
コレに近い言葉を語ってくれていた。
この言葉にボクが思うのは、
もっと子供に戻って良くて、
もっと人間らしくて良くて、
もっと今を楽しむ義務が僕たちにはあるんだ、そう解釈した。
きっとボクが真剣に思うほどに、彼はそこまで考えて発言していなかったかもしれない。それでも、誰が言ったかで言葉の重みは左右され、シンプルな言葉ほどその重みは増す。究極的に言ってしまえば、最後は受け手の度量に任せるしかないかもしれない。
しかし、それも凌駕してしまうほどの力が言葉のどこかには眠っていて、言葉のことを「mojo」と呼ぶように、言葉には呪術的で何か神秘的で特別なモノが備わっている。そう思わせる言葉にボクは魅力を感じる。
だから言葉は面白い。