勉強したいこと
おはようございます。朝、息子が早朝のサッカー練習に行くので、というのと、健康診断に行くからというので朝食を食べられない妻のために、珍しく早起きをして米を炊いた。だからといって素晴らしい一日がはじまるわけでもなく、仕事の確認作業に追われ、そうこうしているうちに息子はサッカーから帰ってきて、なぜかここ最近やる気になっている自宅学習を妹と一緒にはじめた。妻は健康診断に出ていない。「終わったらとーちゃんのところに持ってこい」とか言いながら、算数とか漢字のプリントの○つけをしていると、まだこの日記も書いていなかったのに昼前になってしまった。
ま、特段書きたいことがあったわけじゃあないんだけども。
そういえば、ぼくは「社会」という勉強科目がものすごく苦手だった。歴史上の出来事も覚えられないし、経済や政治なんてもってのほかだ。恥を承知で述べると、きっと同じ40歳の日本人と比較すると、社会とか経済の仕組みがまったく分かってない部類に余裕でランクインすると思う。きっとそのことについて、コンプレックスもあるな。
「情報に価値はない」とか言いながら、いつもTwitterなどで、活躍している大人たちが政治や経済のことについてコメントしているのを見ると、いやいやわざわざ知識人でなくても、芸能人やなんかが恥ずかしがらずに自分の考えについて発言しているのを見かけても、みんなエライと思ってしまう。「友がみな〜」ってやつだ。
確かに情報や知識に価値なんてない、とも思っている。でもそれは散々金を稼いだ人間が言う「金に価値はない」と言うのと、金を稼いだことのない人間が言う「金なんて意味ねぇよ」と言うのとの違いのような、なんだろう、説得力の違いだろうか。どれだけ本当に意味のないことでも、それを体験したことのある人にしか見えない世界というは、あるんだろうね。筋トレとか、努力って行為についても同じことが言えるかもね。
「極めたい」と思うことは一つでいいかも知れないけれど、興味とか関心のある分野のことは、自分が満足できるまで体験した方が良いのかもね。
あぁこれも前に書いた気がするけれど、「欲望を昇華させる」と、そういったことについて表現した友だちがいたよ。
どうせある程度やったら満足するんだから、さっさと体験しちまえ、ってことね。
ぼくにとって社会の勉強は、前々から思っていてなかなか体験していないことの一つだな。
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2020年の日記
ただの日記です。毎日書くわけではありません。不定期ですが、目標は「ほぼ毎日」です。40才。本厄。名刺の肩書きは「プランナー、ミュージシャン…
過去の日記
過去の日記、まとめました。2017年〜2020年くらいまでの、会社勤めをしていた頃の日記です。
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