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私たちは既に不死なのかもしれない。
「オかねの切れ目が恋の始まり」を見た。
愛に溢れた最終回だった
松岡茉優さんをチェックしようと思って見たのだけど、三浦春馬さんの遺作ということを知ったのは、見る前。
最終回は、なるほど、春馬さんがいなくても成立できると同時に、春馬さんを追いかけて忘れないようになっている作りになっており、ラストシーンはすごく温かい気持ちにさせてくれた。まるで、彼が戻ってくることを祈るように。
これからも生き続ける
春馬さんはこの作品のみならず、色んな作品で生き残り続けられるんだろうな。それくらい愛された人だということが、この一作だけで分かった。
それは春馬さんに限った話ではなく、先日、亡くなられた神田沙也加さん、竹内良子さんも同様だ。
画面の向こうで、今は亡き人たちは作品の世界の中で永遠に生き続けて、見ている人の心に存在していく。
初めてファンになったのは故人
話は変わるが、初めてファンになった人が故人だ。XJAPANのギタリストhideだ。
彼の存在は今でも伝説として語り継がれ、未だに CDも形を変えて発売されている。(聞いたところによると、アーティストはある程度の年数、作品の発表がないと廃盤ができてしまうので、そのためらしい)
追悼イベントは毎年のように行われている。彼を語り続ける者がいる限り、決して死なないのだろう。
故人を語り続ける意味
彼ら彼女らの場合、「作品」という特別なものの中に生きられるが、では、私たち一般人はどうやって、生き残り続けられるのか。写真、SNSだろうか。それよりも、もっと分かりやすい方法がある。
「忘れない」。
これだけである。
しかし、これが難しい。だから、語り続けるのだ。どんな人でどんなことをしゃべり、どんなことを考えていたのか。
どれだけ美化されても、どれだけ主観が入り混じっても、私たちが「忘れない」ことで、人は生き続けられるのだ。