FF10とFF10-2の評価の考察
※この記事にはFF10とFF10-2のネタバレが含まれます。
インターネットやゲーム雑誌のレビューではFF10は比較的好評であるのに対し、FF10-2は賛否両論になっているのはなぜか?
ストーリー構成の差
FF10は「シン」というラスボスを倒すという明確な目標があり分かりやすいのに対し、FF10-2は目標はティーダの面影を探すというちょっと分かりにくくいものになっている。
FF-10
ラスボスを倒しそうしなければ世界は終わる、というのは非常に分かりやすく共感しやすいものだ。
そこに更にいろいろなストーリーが折り重なっていく。
・ティーダとユウナのラブストーリー。
・ティーダとジェクトの関係。
・ワッカ達ガードとユウナの関係。
しかも、ラスボスを倒すとユウナも死ぬという葛藤。
そして、ユウナの死を回避する方法を選んだ末のティーダ消失。
料理で喩えると、フルコース料理で非常にバランスの取れた料理に仕上がっている。
「こんなの美味しくないわけないやん」というものになっているのだ。
FF10-2
ティーダの面影を探す、というのは分からなくはないけど死という恐怖がないので印象としては弱い。
とはいえ、FF10でラスボスを倒したのに復活させるわけにはいかない。
復活させてしまったらFF10での葛藤をちゃぶ台返ししてしまうからだ。
「何のためにティーダが消えたのか!」と誰もが怒るだろう。
「シン」の代わりに「ヴェグナガン」というラスボスが据えられているのだが、「シン」より印象は弱い。
それは「シン」は全人類共通の敵であるのに対し、「ヴェグナガン」はごく一部の人間しか知らない存在だからだ。
FF10-2にもキャラクターそれぞれの葛藤があるが、メイン料理が弱いのでどうしても印象が弱く感じてしまう。
さらには、ティーダ復活エンディングが存在するため、その点において難色をしめす人もいるだろう。
「何のためにティーダが消えたのか!」と怒る人もいるに違いない。
しかし、FF10-2はそれ単体で見ればバランスのとれた料理に仕上がっていると思う。
料理で喩えると、FF10は「松」でFF10-2は「竹」のような感じだろうか。
まとめ
「松」の感動をもう一度味わえると思っていたユーザーにとっては、「竹」の感動では物足りないと感じるだろう。
故に賛否両論につながったのだと思う。
私の個人的な感想だが、FF10とFF10-2は表裏、または月と太陽のような関係であると思う。
二つで一つの感動的なストーリーを提供していると感じる。