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バスの一番うしろの席で、静かに静かに涙をこぼした 9/9-9/15|日記

9月9日(月)〜9月15日(日)の日記です。



9月9日(月) 「あ、わたし、たまごが遅延アレルギーだったわ」

夏の終わりなんて思っていた気候は嘘みたいに、焼けるような日差しの朝。
散歩に出かけるも、早々にリタイアしコンビニに避難する。

ついでに朝食を買って帰ろうと思い、てりやきたまごサンドイッチを購入する。
つくりおきしてあった水出しアイスコーヒーと一緒に食べる。美味しい。

そのまま、作業しようとパソコンを立ち上げるが、睡魔が襲ってくる。
週明けの月曜だし、脳がまだ起きていないのかなと思っていたけど、途中意識がとぶくらいの睡魔。

まだ体温が残っている布団の上に横になる。
意識が夢の中に吸い込まれつつある中、あることに気づく。

「あ、わたし、たまごが遅延アレルギーだったわ」


9月10日(火) 人はなかなか変わらないものだな

収録へ。
今日は、珍しくひとつ下の後輩と同じ現場。といっても、10年ぐらいの付き合いがあるとても貴重な存在だ。

コロナ禍に入ってから、滅多に会わなくなり「あのひとは今?」ではないけれど、少し楽しみにしている自分がいる。どんな人に変化しているんだろうか、と。

そうして、待ち合わせの駅の改札前で待っていると、人を呼ぶ声が聞こえてくる。

「ユースケさんーーーー!!!!」

駅の改札内から、身を乗り出して、手を降っている後輩の姿。

何度も名前を呼ばれるので、こっちが恥ずかしくなり、急いで近づく。

「あの…現金がなくて、出られなくなっちゃいました…」

あぁ、こういうやつだったな…と思い、人はなかなか変わらないものだなと思った。


9月11日(水) 「耳の中をさわらない」とスケジュールに登録した

病院の待合室。

「サクライさーん、サクライショウさーん」と呼ばれる声。

もうすぐ自分が呼ばれる番かなと思っていたら、

「アイバさーん、アイバさーん」と呼ばれる声。…嵐が来てるんかと思った。

診察室。
左耳の痛みから、耳鼻科に。
子供のころから、中耳炎にかかっていて、耳の痛みにはかなり敏感。
耳はホントにやっかいで、異変があると眠れないほどの激痛が走る。
大したことがなくてもいい…。安心を買いに行くつもりで席に座る。

「鼓膜、薄いですね」
眼の前のディスプレイには耳の中の映像。呼吸をするたびに鼓膜が動いている。鼓膜を切開してチューブを通した経験など、一瞥しただけで言い当てるなど、医師は本当にすごいな、と思う。

「耳かきは、お好きですか?」と聞かれる。
そういえば、最近、すごく気持ちがいい耳かきをみつけて、ストレスが溜まるとついつい耳かきをしてしまっている。

結論、外耳が傷ついてしまっているらしく、急性外耳炎と診断。ようは、耳かきのしすぎだ。

耳をさらわないでください、と念を押され、カレンダーに「耳の中をさわらない」とスケジュールに登録した。


9月12日(木) 「横のつながりがなくなった者が、やめていく」

「本当に見たいシーンをセリフで書いてしまうクセがあるよね。一言でいうと、かっこつける」

最後の脚本の講評で言われたこと。
「かっこつける」は、分野が違えど、共通して僕に向けられている言葉。
ダメ出しをされているのに、思わず笑ってしまったし、ハッともさせられた。

自分の欠点や弱点を、僕は、素直に見せられないのかもしれない。
それが、身体表現も、文章表現も、すべてにおいて隠して隠して、生きてきたんだな、と深く思った。

横断して言われるんだから、これは本物だと思う。

三ヶ月間、同じクラスで創作してきたメンバーともお別れ。
続けていれば、また会えるかもしれない。
「横のつながりがなくなった者が、やめていく」という言葉を思い出し、僕は、ノートの切れはしにメンバーの名前を残していた。


9月13日(金) 赤星のある店は、良い。

赤星のある店は、良い。


9月14日(土) 三連休のはじまりだが

世間は、三連休のはじまりだが、明日の収録のために、体調をととのえてひたすら眠る。


9月15日(日) バスの一番うしろの席で、静かに静かに涙をこぼした

収録へ。
バスに残りこむと、反対車線で、神輿を担いでいる姿が。どうやら、祭りらしい。そのため、道路は渋滞しており、なかなか車がすすまない。

ふとSNSを開くと、訃報がとびこんでくる。僕の担当してくれている美容師の奥様が亡くなられた。

その店は、御夫婦で美容室を営まれおり、僕も何度かご挨拶をさせていただいた。「これから、こういうことをやっていきたい」「将来的に、こういうポジションをとりたい」など、髪をきりにきているのか、話にきているのかわからないほど、僕はいろいろな言葉を交わした。

ある日から、奥様がお店に現れなくなった。
そこからは、家族の話が多くなった。子供の写真を見せてくれたり、歩けるようになったなど、仕事の話よりも、身の回りの話が多くなった。

一ヶ月前。
僕が髪を切りにいくと、お店に美容師さんのお義母さんが来ていた。僕の顔にタオルをかけられシャンプーをされている最中、お義母さんが旦那さんに相談にきていた。そこから僕は、自分の心を固めながら、なんとか明るくなるようにつとめていた。

「一日でも、早く愛の言葉を伝えてあげてください」
SNSの文章の最後には、そう綴られていた。
僕は、涙をこらえることができなくなった。泣いてはいけない。泣いてしまうと、声が変わってしまう。

生きているうちに、すべての人に出会えるわけでもないのに、別れだけは平等にやってきやがる。

そんなことを思いながら、僕はバスの一番うしろの席で、静かに静かに涙をこぼした。窓の外からは、「ワッショイ」と威勢のいい声が上がっていた。


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