この街
この街は、2回、日が昇る。
僕の部屋は、西日が指す。
夕方、だらしなくしている自分を叱るように。
だけど、朝にも日が差し込む。
レースのカーテンをあけると、タワーマンションに光が反射していた。
ベランダに出ると、向かいのビルの屋上が見下ろせた。
屋上で、洗濯物を干している人がいる。
後に僕は、向かいのビルに洗濯物が出ていたら晴れ、出ていなかったら雨、とソラジローもびっくりするくらい的中する、「向かいのビル天気予報」を発見してしまう。
朝の7時
朝ごはんを食べたいのだが、店はほとんどやっていない。
街全体が、怠惰な大学生のように遅起きだ。
ある日、一軒だけ開いている店を見つける。
外観はアジアンテイストなBAR。店のドアには「豚汁定食」の文字。
中に入ると、初老のおばあさんが「いらっしゃい」と声をかけてくれる。
BARを間借りしているのだろうか。
店内は、BARカウンターのみで、サラリーマン風に男性がひとり椅子に座り定食を頼んでいる。
「豚汁でいい?」と声をかけてくれたので、それを注文する。カウンター越しにテキパキとおばあさんが用意してくれているのを眺めていると、
「以前も来られたかしら?」と話かけてくる。
話かけられると思っていなかったので、少し反応が遅れる。
「最近、引っ越してきたんです」
「あら!もしかして、あそこのタワーマンションの最上階とか?」と、おばあさんは、窓の外を指さす。
僕は、冗談かと思い「そんなわけないじゃないですか」と大きく右手を振ると、
「そう? そちらの男性は、あのタワーマンションにお住みよ」とサラリーマン風の男性に手を向けた。
男性が、申し訳なさそうに会釈をする。
この街で生きていく自信がなくなった日の話だ。
夜の22時。
目の前を、ランドセルを背負った小学生が歩いている。
こんな時間に歩いているなんて、明らかに変だ、と思い、もしかして、見てはいけないものを見てしまったのかもしれない、と急いで別のルートに移動する。
建物の前に行列ができている。
何を待っているんだろうと、建物名をみると、そこは塾だった。
建物から、大量の小学生たちが出てくる。行列だと思っていたのは、迎えにきていた保護者だった。
街を見渡すと、中学受験の塾がそこら中にある。
気づけばここは、中学受験の街だった。
後に、子どものころ、この街で過ごしたことがある女性と出会う。
中学に進学すると、いま住んでいる街から、遠い街に通うようになる。
近所に住んでいるのに、違う学校に通うようになり、地元と呼べる場所がないんだよね、と話してくれた。どこか寂しそうな声で。
この街は、スイーツ激戦区だ。
甘党に優しい街。飲み屋より多い。差し入れが多くなった。
その分、体重も増えた。
23時までやっていたカフェがなくなった。
建物の老朽化の問題で。23時までやっているカフェはえらい。
飲食店がオープンしては、閉店していく。
まるで、土地をシェアしているように、新しい店ができては潰れていく。
この街の新陳代謝に巻き込まれていくように。
寝れない日が増えた。
暗い早朝から、散歩することが多くなった。
バス停の灯りが好きになった。帰り道を教えてくれるような、そんな灯りが。
健康診断にひっかかった。
胃も調子が悪くなった。十二指腸潰瘍が見つかった。
この街を引っ越すことに決めた。
いや、引っ越さないといけなくなった。
僕も、この街の新陳代謝に飲み込まれてしまった。
こんなにきれいな部屋に住んだのに、本当に仲が良い人しか部屋に入れれなかった。
部屋の広さの問題だったのかもと思ったけど、そんなことない。
歳をとると、体は変わらないかもしれないけど、心の体積はどんどん増えていくんだね。
荷物が運び出されていく。
あと何回人生で、必要なものと、必要じゃないものを、選ばないといけないんだろう。
Barのおばあさんの店は、貸店舗になっていた。
夜には小学生が歩き、スイーツが美味しい。
ラーメン二郎は、毎日行列で、結局行けなかった。
鍵のひきわたし。
早く来すぎて、窓の外をみた。
向かいのビルの屋上には洗濯物。
今日は、晴れるんだと思う。
認印が必要なことを忘れていて、
近くの100均で印鑑を買う。
ありきたりな苗字は、このとき役に立つ。
この部屋でなにができたのかな。
なにかにつながったのかな。
そんな事を考えていたら、外から音がした。
雨が降っていた。
向かいのビルの人が、慌てて洗濯物を取り込んでいる。
僕は、思わずしゃがんで、身を隠した。
あぁ、お向かいさんも、はずれることがあるんだなって・・・。
ちょっとだけ、嬉しくなって、少しだけ泣いた。
そんな、街の思い出。