起業して1年
久しぶりのnote投稿です。
僕は『動画』という世界共通言語で表現する系の人ですが、
人生の記録をあえて『文章』で残す事に価値を感じたので、
今日は会社を創業して約1年経った現状と今後について話そうと思います。
21歳までの大川優介という人物や思考を知りたい方はこちらへ
現在
大学3年生の後期に大学を休学し、2018年4月23日に
大学のゼミで出会った2人と起業しました。
創業して半年間(2018 / 11月)はただがむしゃらに映像制作をし、色んな方と出会い、失敗し、学びました。
その頃には会社はメイン6名、案件毎に関わるクリエイターが数十名となり、会社の売り上げ、利益、さらには新宿にオフィスも構え、それなりに会社っぽくなったという印象です。
2018 / 11月末 日本最大級の動画コミュニティーTranSe Salonを設立しました。
このコミュニティーが僕達の会社に新しい世界を見せてくれたと思っていますので説明させてください。
TranSe Salonて何?コミュニティー?オンラインサロン?
と思う方は多いと思いますが、TranSe Salonは
動画好きによる動画好きのための環境です。
全国各地の動画好きと繋がることができ、
動画制作を学ぶ事が出来ます。
よく勘違いされますが、このコミュニティーは学校ではありません。
学校は先生が教え、生徒が学ぶ一方通行ですが、
コミュニティーは斜めの関係だと思っていて、
学びたい人は経験者から学び、経験者もアウトプットする事で学びが深まり、信頼が生まれる環境だと思っています。
要するに学校の授業終わりに頭いい人に数学を教えて貰うのと同じで、
僕は数学がまじで出来なかったのでクラスというコミュニティーに救われたのと同じです。
情報革命の真っ只中ですが、いくら分かりやすい教科書や授業(情報)があっても分からない人には分からない。
マニュアル化された情報ではなく、
ふわっとした事が聞きたいし、同じ趣味の人と繋がりたいし、何かを生み出したい。
Salonは僕が動画を始めたときに欲しかった環境を体現しているだけで、
その実体験がこの事業に結び付いていると感じます。
SNSの時代、個の時代、情報革命の時代だからこそ、
人と直接繋がり、何かを支え合う環境こそが本質的だと思っています。
現在全国各地、海外含め829名(投稿現在)在籍するこのコミュニティーをより良くする為に、
様々な施策を練ったり、日々活動していたら、
2019 / 4月になっていました。
そして、約3年間お世話になった駒澤大学へ退学届を提出しました。
退学した理由は、
『世の中を変える!』『1兆円企業を作る!』という夢を実現する過程にある、
生き方という『学び』を僕は優先したかった。
ただそれだけです。
設立から約1年。
事業内容は
・映像制作事業
・コミュニティー事業
・YouTubeスタジオ
の三軸で会社を経営しています。
先日VCから数千万円の出資を受けたり、
スマートフォンブランド「Waylly」との業務提携やGooPass様とのパートナー契約。
事業拡大に向け関わる人が増え、オフィスも約40坪もあるお台場に移転しました。
立地的なネガティヴ要因もありますが、
自分達から生み出す事業を促進する意図も込めて、お台場という場所を選びました。
フリーデスク、撮影スタジオ、動画好きとのコミュニケーション、
より良い空間を目指します。
今後の展望
僕達から生み出すプロダクトが多くの方にふれあい、少しでも人生が豊かになればそれでいいです。
『1兆円企業を作る』という目標も時価総額1兆円規模ならプロダクトが多くの方に触れ合っている規模感かな?という理由です。
もろちん1兆円企業を作る為には今やっている事業では無理。という意見もあります。
気持ちは分かります。
ですが、点と点を結び、線になる事を考えたら事業領域の選定からでは無く、数字に見えない事業の価値を最大化するべき。という見方もあります。
世の中は不規則かつ普遍的性質があり、
わからない事だらけです。
大学を休学した時に1年半後の今の自分達をイメージ出来たのか?
起業して、メンバー増やして、1兆円企業作る!なんてイメージ出来たのか?
今の時代ただでさえ流れが早いのに、
経験も才能も知識もない僕達が1年後3年後想定される事をイメージ出来る訳ない。
ただし自分達が持っている手札を使い、仮説を立てる事はしなければいけないし、間違っていれば柔軟に方向を変えればいい。今はそんな気持ちです。
ただ『世の中を変える!』という夢や『1兆円企業を作る』という目標はぶらさず、それを達成する為に圧倒的な努力と継続力は大事にします。
簡単なようで難しいので。
この記事を見ている人で、
今後の進路を悩まれている方がいるとしたら、
まず行動しよう。
頭のいい人は中長期的な仮説を自然とイメージし、
勝てる確率が7割ある状態でやっと勝負に出ます。
先ほども述べた通り、半年後の自分なんて分かりません。
そんな時代の中、仮説なんて不要です。
下手に考えるよりもまず行動して失敗した方が成長し、
その過程が人生としての資産に変わる。
リスクが無い旅は思い出に残らない。
お金でも無く、美女でも無く、
人生におけるポジティブな思い出だけがあの世に持っていけます。
ポジティブな思い出だけ。
この若い頃の感性を忘れない様に『when we were young ~ 私達が若かった頃』という音楽を使って色々アウトーな動画を作ったんだから、
どんどん行動に起こせって話です。
僕は幼い頃から理解力が乏しく、テストもいい点取れないし、
自分の能力にコンプレックスがあったけど、
僕は諦めずに努力し続けました。
その結果家族が支えてくれて、仲間が出来て、今があると思っています。
自分の為である人生の記録でした。