アクセシビリティカンファレンス福岡2024の裏話と感想と希望と

2024年10月某日、ぼくは頭を抱えていた。なんて軽い気持ちでオファーをしてまったんだろう———。みんなをエンパワメントさせるためのカンファレンスのはずが、逆の現象が起きてしまうんじゃないか……?

ようこそ、絶望の谷へ再び

今年のテーマである「つぎはどうする」は昨年の開催が終わった直後のブログ記事の見出しに用いたフレーズだ。実はこの時点でテーマにしようと思っていた。そして「次は初心者向けにはせずに今やっている人たたちのレベルにあったセッションで組み立てよう」とも決めていた。

2年前の2022年に「WAI-ARIA勉強会」という4時間強のオンライン勉強会(セミナー)を開催したことがある。ダニング=クルーガー効果を引き合いに出して、まず初学者向けセッションで「完全に理解した」に持ち上げた後にセッションの難易度を徐々に上げていき「絶望の谷」へ突き落とすという野心的なイベントのゴール設定をしている(オンラインの無料イベントであり、無料イベントであることを後ろ盾にぼくはしばしばこういった無茶をする)。

2024年のアクセシビリティカンファレンス(以下アッカン)をどうしたいか考えたとき、このWAI-ARIA勉強会を思い出していた。2023年のアッカンは「仲間がいる」ことを強調し、仲間を増やしていくことにもフォーカスをしたので内容的には初学者ウエルカムになっている。「簡単だから一緒にやろうよ」なんて言っているわけでは決してないが、「アクセシビリティ完全に理解した」と思われていても困るわけで、そこは一旦「絶望の谷に突き落としたろ」と思ってしまったのである。思っちゃったんだから仕方ない。

初学者にもわかりやすく且つ普遍的な内容の2023年のアッカンは、無事アーカイブ動画のYouTubeアップロードができたので「これを観てもらえれば、これで予習してもらえればいいわけだから、2024年はもっと踏み込んだ内容にしてもいいっしょ?」と強引に定義をして、絶望の谷に突き落とすストーリーを組み上げていた。

立ち上がれない…ぼくが…

冒頭に戻る。スポンサーからの資金も予算に到達し、ほとんどのことが予定どおりに進行し、準備も大詰めの2024年の10月某日。開催まであと1ヶ月ちょっとのところで、ぼくは本を読んで倒れていた。

ほかでもない。登壇者のひとり、田中みゆきさんの著書「誰のためのアクセシビリティ?」を読んで、ぼく自身が一足先に絶望の谷に突き落とされていたのである。

長年、アクセシビリティと名のつくものの情報をキャッチアップしてきたつもりで、ウェブアクセシビリティに関しては専門家を名乗る活動もしてきたのだけど、なんだ———アクセシビリティ完全に理解した———だったのは自分じゃないか…。いや、でもちょっと待って。絶望は絶望でも「なかなか難しいな」程度のそれのつもりで、こんなに凹むのは、違う、そうじゃない、そんなつもりじゃなかった…。

田中さんにオファーを送ったのは本を読む前で、2023年に登壇いただいた伊敷政英さんが本に登場することを知り、伊敷さんを通じてオファーさせていただいた。本が界隈でも話題になっているから、もしタイミングが合えばお話をしてもらえるかもしれない…!というかなり軽い気持ちだった。これまでアクセシビリティ関連のイベントで、田中さんの活動のひとつであるアートの文脈というのは少なかったし、新しい視点や概念を持ち込んでもえられるだろう、とそのくらいの気持ちだった。今思えば本当に失礼な話である。

本を読み進めながら、本から得られる新しい発見を楽しむ反面、自戒と後悔の念と、そして本の内容でセッションをしてもらうか否かで迷いに迷っていた。どうしよう。「楽しい部分だけ切り取ってください」とお願いするのは簡単だ。でも、それでは田中さんをオファーした意味がない。田中さんはおそらくそれを望まないだろうし、それに、今ここでそんな注文をつけてオファーをしたら、アッカンやそこに賛同している人たちと、いろんな人たちとの分断を生むことになりかねない。一番やってはいけない選択だ。表面的にイベントが成功に見えたとしても、それはぼくが望んでいない。

コンセプトを思い出せ、覚悟を決めろ

頭を抱えている間も刻々と開催日が近づいている。アッカンのウェブサイトの田中さんのセッション内容は「調整中」のままだ。そしてついに田中さんの方から内容の提案をいただいた(仰ってはいなかったですが、痺れを切らしたんですよね…本当にごめんなさい…!)。そしてオンラインで最終打ち合わせ。ここ数年で一番の冷や汗をかきながら、本の感想だったり、参加する人の傾向だったり、自分がアクセシビリティの何に関心があってるのかだったり…なんかずっと言い訳ばっかりしていた気がする。緊張しすぎて一部記憶が飛んでいる。でも、その打ち合わせの中での田中さんのいろいろな説明を聞いて、本で読むより重みのある言葉の数々に「これ独り占めするのはもったいないわ、やっぱり現地でみんなに聞いてもらおう」と、覚悟ができたのである。

裏コンセプトは「ようこそ、絶望の谷へ」だったわけだし、そもそもこのくらいのことで絶望を感じていたら日本のアクセシビリティは停滞してしまう。いずれこの悩みはどこかで必ずぶち当たるだろうし、ぶち当たるなら早いほうがいい。そして、そのチャンスが目の前にあるのに握りつぶすのは愚かだ。

当日のセッションは田中さんからのスタートだ。でも、どう考えてもこれがキーノート(基調講演)。イベントの方向性を定めるセッションになる。ギリギリまでセッションの順番は迷っていたが、予定どおり最初の告知から変えないことにした。

ここにいる

2024年11月30日、ついに本番。覚悟を決めたと言いつつ、胃がキリキリしていた。参加者がどういう反応をするかどうか不安は消えていない。

田中さんのセッションが始まり、Xでのハッシュタグを追ってみんなの反応を見ながらセッションを聞く。するとどうだろう。田中さんの話しの上手さと、参加者の受け止める強さを、ぼくは見誤っていたのかも知れない。内容は変わらず重かったし、衝撃を受けた人は多かったけど、「いっしょに頑張らないといけない」という共通の課題に着地したからだろうか、そこまで悲観的にはならずに鼓舞された人が多いように思った。

クロージングトークで、ちょっとだけみなさんを慰めるような言及をしたけど、あれはぼくが自分自身に言い聞かせたセリフだ。田中さんのセッションが終わった直後、目の前には大勢の参加者がいることに気づいた瞬間「そっか、今この瞬間にみんなの共通の課題になったんだ。この人たちといっしょに悩んで解決していけばいいんじゃん」と、2023年のテーマ「ここにいる」もここに来て再び証明された気がした。

想像以上のバフ

その後のセッションもとてもいいものになった。田中さんのセッションにあったキーワードや概念がそれぞれのセッションを補足するかたちになって、キーノートとしてちゃんと機能したように思う。

舞羽さんたちSmartHRの最先端の活動とともに、当事者不在でない開発がちゃんと日本に存在していることを証明し、ひとつの向かうべき方向性を示し、「自分には縁遠い開発組織だ」という印象にはならずに済んだ気がする。

小谷野さんたちのKIKIの開発も、技術的な好奇心をくすぐられるワクワクする話であると同時に、テクノロジーが何を解決するのかを改めて考えるひとつのモデルになっていた。

野田さんの選挙の話も、終始笑いのあるセッションではあったけど、そこには選挙権というとても重要な権利が蔑ろにされていることが、どのくらい問題なのかがより強化された状態で聞けたんじゃないかと思う。

この順番の効果は後で参加者の何人かに褒めていただいたので、思った以上にバフになっていたようだった。もしアーカイブを楽しみにしている人であれば、必ず順番に見てほしい。

文化を繋ぐ人

アクセシビリティの専門家が不要な未来が理想の未来だ、という話を時おりするのだけど、今回のアッカンを通して、果たしてそれが真なのかどうかは改めて考えたいと思った。

作り手(デザイナーやエンジニア)にとってのアクセシビリティは当然、当たり前にするべきで、それらの知識や意識や仕組みづくりはそれぞれの作り手に委ねられていくと思う。そうなった後に何が必要になるのか。アクセシビリティシャンがアクセシビリティの何を専門として行動するといいのか。ひとつ考えられるのが「文化を繋ぐ人」になることだと思う。文化・風習・経験・コンテキスト・そして環世界においても片方を蔑ろにせず、ちゃんと繋いでアクセスしあえる方法を模索する人がアクセシビリティシャンの役割のひとつと考えてもいいのかもしれない。ユーザーインターフェイスをアクセシブルにするだけじゃない、もっとマクロに、もっとミクロに、そういった役割が重要になっていくんじゃないだろうか。

アクセシビリティの専門家を名乗っているからにはそれをできるようにならないといけないとか、そういう話ではない。そういったことができる人をもっと増やすことが重要で、できる人が生まれる土壌を作っていくことが重要だという話だ。「自分がやれればそれでいい」は何かのスーパーマンのセリフであってスケールしない。その人ができなくなったらそこで終わってしまう。そういう人が生まれる続ける環境、生まれる続ける文化、生まれる続ける社会にみんなで変えていかなければならないんだと思う。そのためにはそれこそ文化の向こう側に立つ当事者といっしょに作っていく必要がある。そして、この宇宙に文化が2つ以上ある限り、その役割と土壌を整備していくことが不要になることは決してない。

まだまだ考えはまとまってないので「アクセシビリティなにもわからない」の絶望の谷にいることに変わりはないのだけど、ここを意識していけば自分たちの存在価値が揺らぐことはなく、本当の絶望はしないで済みそうだ。そして、アッカンのような活動がその土壌のひとつになり得るかもしれないことは、いろいろと希望を持てる気がした。

冒頭の悩みと当日ギリギリまでの杞憂とは裏腹に、ここまでしっかり成立したのは本当に田中さんほか登壇者のみなさん、参加者のみなさん、関係者のみなさんのおかげだと思う。みなさんのアクセシビリティ対する情熱を舐めていたのかもしれない。気づいていた人は少ないかも知れないけど本当にごめんなさい。

でも、安心した。たぶんつぎのアッカン福岡も間違いなく成功する。この情熱と、衝撃を受けても怯むことのない前のめりな姿勢、今までの自分を省みることのできる柔軟な態度。そんな参加者が集まっているんだから、何があっても絶対にいいイベントになってくれると思う。来年の開催も、みなさん応援どうぞよろしくお願いします。

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