どんなことであれ「他人事」である
こんにちは、Yusukeです。
私の古くからの友人がいます。
「小中学校が同じ」といった、ごくありふれたつながりです。
彼は結婚しているのですが、先日待望の第一子が産まれました。
すごくめでたい、うれしいことなのですが全く実感がわきません。
身近な友達に子供ができたら共感し、涙を流すまで喜んでいいはず。
と、勝手に思っていましたが。
いざ現実になると心境は「ふーん、そうなんだ」ぐらいのテンションです。
これは私が人間性が低いからでしょうか?
ちょっと冷静に考えてみます。
自分の生活リズム、ルーティーンが崩れる
報告を受けた時を考えた時を振り返ってみました。
彼との関係は「ニュートラル」にしようと距離を置いており、久々の連絡、待ち合わせがずれ込み、飲酒もしました。
私は平日にはルーティーンの生活を行っており、食事の時間や、筋トレ、入浴時間もすべて決めています。
この時多量の飲酒があり、すべてのルーティーンができなくなり、睡眠時間と質が低下、翌朝のパフォーマンスがボロボロ。
心の乱れが起きた出来事でした。
同じ失敗を繰り返す
すべて行動による結果、簡単に想定でき、何回も同じことを繰り返してきたました。
そう彼とはこれを繰り返してしまうこと、お互いのライフステージや価値観が変化、「心のベクトル」のギャツプが起きていたから距離を置いたのです。
こんなおバカな私ですが、一応学習してこの「連鎖」を断ち切るための行動は起こしていました。
今回また同じ失敗を繰り返してしまったのです。
言葉に出してはっきりと「断る」勇気と「依存を捨てる勇気」
結論、私がはっきり断っていればよかった話。
それをグダグダ言ってもしょうがないです。
断るといっても思っているだけではダメ、言葉にださなければいけません。
私にはやっぱり「嫌われる勇気」と「依存を捨てる勇気」」が足りません。
自分の心の状態を保つために色々しないといけないのは、ちょっとめんどくさいですが。
綺麗ごとが溢れている世界は素晴らしいが・・・
日本人は体裁、忖度、そして綺麗ごとが大好きな人種です。
相手を重んじる文化や慣習が根強く残っています。
言いたいことが言えないで、押さえ込んでいる自分を抱えながら。
少しでもこの「溜まったもの」を解放しないと生きづらく感じるのは私だけでしょうか。
自分以外のことは「他人事」だと理解する
色々な出来事で心動かされ、「喜怒哀楽」を表現するのは人間として生まれた本能です。
社会に出るとこの「喜怒哀楽」を意図的、効果的かつ戦略的に自分でコントロールしなら使う場面が増えてきます。
これは生きるためにはかなり合理的な選択であります。
しかし、本質的な感情を押さえ、それによってストレスが発生していることも事実です。
時に自分自身を見つて直す作業も必要です。
そこで色々気づいてたりします。
結論、自分以外のことは全て「他人事」だと。
理解した上でどう人と関わっていくか、そして自分の幸せを探求しつつ、どれだけのスコープを他人に設定していくのか。
他人との関わり、他人からの承認はや依存もある程度必要、「自分事」と「他人事」を場面に応じて切り替え、優先度をつけていく
面倒くさいと思いながらも思考することは人生を豊かにしてくれる、何より面白いです。
では、また次回。