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【追悼文】槇文彦先生について思い出すいくつかのこと

去る6月6日(木)、建築家の槇文彦先生が逝去しました。享年95歳でした。

斯界の最高峰であるプリツカー賞を受賞するなど、日本を代表する建築家として活躍したのが槇先生で、幕張メッセや町田市役所のほか、フォー・ワールド・トレード・センターなど世界各地に設計を手掛けた建物が存在することは周知の通りです。

私にとって建築は専門が異なる分野ながら、槇先生に身近に接する機会がありました。

すなわち、2018年2月25日(日)に法政大学江戸東京研究センター(EToS)が開設記念として行った国際シンポジウム「新・江戸東京研究~近代を相対化する都市の未来~」において川田順造先生とともに基調講演をされたのが槇先生で、私はこのシンポジウムの運営に客員研究員として参加したのでした。

EToSの存在を初めて広く世に問うシンポジウムだけに文字通り総力を挙げて企画を練った中で、「細粒都市東京とその空間」と題された槇先生の講演は、理論的な側面とご自身の実体験に基づく軽妙な逸話とが巧みに織り込まれた内容で、50分の講演時間がたちまちのうちに過ぎるものでした。

特にご自身が生まれ育った東京が江戸からいかにして変容したかという点について、江戸は郊外に向かって拡大したものの、東京は人口が増えるに従って、単に外へ向かうのではなくて、内へ向かったと指摘したことは、大変興味深いものでした。

槇先生の考えによれば、 明治維新で武家階級が崩壊したことで、その大きな敷地が細分化されるとともに、町人地も内部に余地があったために奥に向かって拡張した結果路地がうまれるだけなく、より大きな敷地を持つ大名屋敷もまた中に向かって、小さな道をいくつも引き込み、細かく分かれていくという状態が江戸から明治時代にかけての大きな特徴でした。

あるいは、文化そのもののあり方について、無償の愛(unconditional love)の重要性を指摘s、われわれの文化は基本的にアンコンディショナル・ラブというものから生まれてこなければいけないということを、建物を設計するにしても、広場を作る場合であっても非常に大事ではないかとされたことも、大変印象深いものでした。

その一言一言が揺るぎない信念を反映し、含蓄に富むお話に接することが出来たのは、私にとって得難い経験となりました。

改めて槇文彦先生のご冥福をお祈り申し上げます。

<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of Mr Fumihiko Maki (Yusuke Suzumura)

Mr Fumihiko Maki, an architect and the Winner of the Pritzker Prize, had passed away at the age of 95 on 6th June 2024. On this occasion, I remember miscellaneous memoris of Mr Maki.

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