はじめてのパチンコ ('24.7.6)
ギャンブルとか煙草とか、今だったらシーシャとか(?)どうして知らなくても良い快楽を知って使わなくても良いお金と時間を使うのだろうと学生の時は思っていた。一度は社会勉強として経験するべきとも言われるけど、三角関数と同じで、「先生、将来なんの役に立つんですか」。
でも今、いや無駄じゃない時間って何よと考えるようになった。人生は楽しんだもん勝ち。楽しさは人それぞれ好きなものを集めれば良くて、その過程は総じて無駄じゃない。人に迷惑をかけてなければなんだって良い。ストレスの発散として使っている人も、なかなか賢いと思う。
しかし自分にとってはどれも合わない趣味だと思っている。例えばパチンコで言えば、無駄に神経が興奮しやすいたちなので、あんな大きな音と光の刺激の中にいたら楽しむ前にすぐ疲れてしまうだろう。最近は携帯の画面を見るのも控えてラジオと紙の本ばかり楽しんでいるというのに。歌を歌うのが好きだから、それが少しでも損なわれると思うと、煙草も微妙。
あんな大きな音と光の刺激、なんて書いたけど、いやいや。パチンコ店に入ったこと、無いではないか。そばを通りかかって自動ドアが開いた時の、一瞬の圧力しか知らない。パチンコをしないのと、パチンコを知らないのは違う。ここに大人と子供の差がある気がする。なんて急に思い立って、はじめてパチンコ店に足を踏み入れた。
まず、分かってはいたが、音はうるさい。電子音ではなく、金属音だ。多分パチンコ玉があちこちぶつかっている音なのだろう。造幣局の工場ってこんな音がしているのではないだろうか。でも中にいる人の雰囲気は意外とゲームセンターとそんなに変わらないのだなと思った。友達連れの人もいる。もっとなんか殺伐としているものだと思っていた。
どの台で遊ぼうかなとうろうろしていて気付いたのだけど、遊び方が全く分からない。お金はどの段階で払うものなのだろう。そしてこの大人な空間の中、遊び方を人に聞くのがとても恥ずかしかった。受付のお姉さんは親切で、わざわざ台まで連れて行ってここにお金を入れるとか、最後はここを押して清算するとかまた分からなかったらなんでも聞いてとか丁寧に教えてくれた。その時一万円札しか持ってなくて、千円くらいで遊んで様子を見たかったのだけど、一旦は一万円札をそのまま突っ込んでカード化する必要があるとのこと。怖い。一度お金を入れたが最後、ビギナーズラックもありつつ、最後まで抜け出せなくなるのではないか。そして店を出る頃には、パチンコなしでは生きていけない体になっているのだ。
さて説明が終わり、遊ぶ台としてエヴァンゲリオンを選んだ。エヴァンゲリオン自体もそんな詳しくないけど、パチンコと言ったらエヴァンゲリオンな気がしている。失礼だろうか。
一万円札を入れ、「球貸し」のボタンを押すと、パチンコ玉への変換が始まる。お金のメータがみるみる減っていく。え、これどうやって止めるの。やばいやばい全部パチンコ玉になっちゃうと思ってガチャガチャボタンを押していたら止まった。どれが効いたのか、あるいは初めから一定額だったのかは今も分からない。
お金の入れ方は聞いたけどその他の操作方法は謎のままで、ムシキングみたいな親切な操作説明もなく、とりあえずレバーを一番奥まで回してみた。パチンコ玉が画面の外周をクルクル回るだけで何も起きてる気がしない。これで合っているのかとしばらく続けていたところ、「左打ちに戻してください」とパチンコ台に怒られた。こういうことではないのか。
レバーを回し切らない中間のところでキープすると、打ち上げられて勢いを失った球が途中の分かれ道から中に入り、画面下の穴に入っていく。画面も初めて反応があり、ルーレットのようなものが回る。どうなったら当たりなのかも分からない。
途中何かが起こったらしく光と、音と、画面に被さって動く謎の仕掛けに驚かされつつも、何事もなく全ての玉を使い切った。ビギナーズラック、あれし。最後出てきたカードを清算すると、9500円が戻ってきた。500円分しか遊んでないなら、さもありなん。
お店を出た後も暫くは頭がふらふらしていた。やはり体には合わないようだ。でもこれで、たった500円分だけど、パチンコを知らない人間から知ってる人間になった。大人。