自分の信号 他人の信号
鉄道にも『信号』がある、ってみなさん知ってました?
私は鉄道会社に入るまで知りませんでした!
だって信号って交差点にあるものでしょ!?
線路に交差点なんてないじゃない!(あります)
車にしろ電車にしろ、みんな信号に従って運転します。
信号とはつまるところ、「安全を保障する担保」なわけですから、それを信じて行動するわけです。
もちろん信号に従っているだけでは不十分なわけで。
高速の合流だったり、車線の変更だったり。
電車だったらホーム上のお客さまの流動が危険でないか瞬時に見極めたり。
安全の保障を信号に委ねるのとは違い、こういったことは自分自身で安全を保障しなければなりません。
私は、前者を他人の信号、後者を自分の信号と呼んでいます。
信号は安全の保障、と言いましたが、もう少し意味を拡げて考えてみると、
「やっていいのか」
「正しいのか」
「タイミングは今なのか」
あらゆる判断の保障とも言えます。
これを交通業界の外に当てはめてみると、今流行りの「指示待ち人間」は他人の信号に依存している、ということになります。
裏を返せば、他人の信号に従ってさえいれば最低限の仕事が出来るわけですから、自分の信号なんてなくてもいいわけです。
が、これは他人の信号が正しいという大前提の上に成り立つ考えです。
信号が故障したり、間違った表示をしたり、挙げ句の果には消失することだってあります。
鉄道業界でも落雷によって表示が消えたり、設置の際に間違えた回路でつないでしまったり、無線式の目に見えない信号に置き換わったりするわけです。
特に信号にエラーが発生したときは、運転士の注意力のみが安全の保障となります。
普段はバックアップに守られているのが、ヒューマンエラー一発で大惨事に繋がりかねない。
だからこそ私たちは自分の信号を育てることを重要視しているのです。
とはいえ、自分の信号を育てるというのは大きなストレスを伴います。
繰り返せば慣れる、と分かっていても、未だに高速の合流は怖いですし、特に首都高の車線変更なんて、
「ギャー!ムリムリムリムリ!!」
と大騒ぎしながらやっとこさの状態です。
みなさんの中にも、同じような方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そんな方へ、とっておきのご提案で今回のコラムを締めたいと思います。