枷と幸とフレームと

大人になってからというもの、100パーセントの力を出す機会がめっきり減りました。

部活の頃のように、それさえやっていれば何もいらない、そんな訳にはいきません。
特に家族が増えたり、年齢が上がるにつれて課されるタスクはどんどん増えていきます。

やるべきタスクから逆算して余力を配分する。

その術を身につけることこそが、大人になる、ということなのかもしれません。


とここまで考えてみて、自分は大人になってから一度も本気を出したことがないかというと、そんなことはありません。

電車の運転士が事故を想定して行う「列車防護訓練」
鉄道で事故が起きれば、最悪数百人単位の死者が出ます。
だから訓練とはいえ、その最中に余力を考える暇はありません。
全力で声を出し、全力で走る。
でも、全力を出すのはこの訓練の中だけです。
つまり、

本気を出すためには、本気を出しても大丈夫なフレームを用意する

ことこそが重要だと言えます。


僕は以前、家族のことを「枷」と表現しました。
そして、この「枷」を語源のとおり『幸』に変換することこそが、僕の人生における企画である、とも。

企画メシから半年が経ち、今一つの可能性を見いだすことが出来つつあります。

それは、

枷があるから本気を出すことが出来ない

ではなく、

枷を本気を出すためのフレームにする

ということ。

この価値の変換こそが、「枷」を「幸」に変換することだと思うのです。

なんだか、客観的に見るとすごくちっぽけな目標となってしまいました。

でも、このちっぽけな目標こそが、自分の人生の土台となる。
そう思っています。

コラム街も今回で最後。
毎回書くだけで手一杯だったけど、書くたびに自分を見つめ直すきっかけとなりました。

こんな素敵なフレームを用意してくれてた伊藤さんに感謝!

またみんなで会いましょう!

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