アイスホッケーにおける「ファイティング」に関する考察
レッドイーグルス北海道の開幕戦を観戦。
初めてのアイスホッケー。
氷を削る、スピード感。身体のぶつけ合い、ものすごい迫力。
試合は堅守が光り、見事勝利。非常に魅力的なスポーツ、コンテンツだなと感じました。
(ルールがよくわからなかったので、理解するともっと面白いんでしょうね)
ただ、試合終了間際~後にかけての乱闘騒ぎ。
あれは非常に考えさせられた。
たしかに選手はヒートアップすることはある。
あれだけ「身体のぶつけ合い」をしているなら、なおさら。
ただあの数分間の「殴り合い」はあの試合に必要だったのか。
少なくとも自分は勝利の余韻が引いてしまったし、息子は「怖い」と言った。
あのリンクの最前線で身を乗り出して観戦していた子供たちはどう思ったんだろう。
ただ選手たちは何事もなかったように笑顔でセレモニーに参加していた。何とも言えない違和感を感じた。
帰宅後、ネットで調べてみるとアイスホッケーには「ファイティング」という文化が存在した。
様々な理由で選手同士が「ファイト」することを許容する文化があり、また暗黙のルールがある、と。
なるほど、あれを含めて「アイスホッケー」なのか。
一転、ビジネス面における「ファイティング」を考察してみる。
これを一つの「ショー」「エンタメ」と捉えることができれば「ファイティング」を一要素として楽しみにしているファンがいるかもしれない。これがメリット。
デメリットは、
「ファイティング」に嫌悪感を覚えて次の観戦を控える(うちの息子みたいな)
試合(その他興行側が想定したタイムスケジュール)以外の時間が増え、間延びする
だと自分なら考える。
あの乱闘騒ぎをビジネス的な観点で捉えると?
あれがあったから、よりチケットが売れたのか?
あれがなかったら、もっとチケット売れたんじゃないか?
そもそもこの論点は間違ってるのか?
何だか選手や興行が”閉じられた世界”で行われているような、そんな風に見えました。
全然、今を否定するつもりはないのですが、非常に魅力的なスポーツだと思いましたし、非常に興味深い事例だと思いましたので、考察してみました。
今まで大切にしてきた伝統、文化を新たな人が理解することも必要、と同時に新たな人の価値観をどう受け入れどう変化するのか。
まだ答えはありません。