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クロアチア #2 イェラチッチ総督広場

「イェラチッチ総督広場」は、ザグレブのシンボルの一つ。

ここは、地元の人々にとっては、定番の待ち合わせ場所になっています。

ザグレブは小さな街なので、ここで 誰かを待っていると知り合いにばったりと出くわすこともあるようです。

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現在では「イェラチッチ総督広場」と呼ばれていますが、この広場は長い歴史の中で幾度と名前を変えてきました。

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広場の最初の名前は「ハルミッツァ」。

ザグレブはハンガリーの強い影響を受けてきた歴史的背景があります。
当時、商品に掛けられていた30%の税金をハンガリー語で「ハルミッツァ」と呼ばれていたことから、広場のことも「ハルミッツァ」と呼ばれるようになったそうです。  

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その後、19世紀に入り「クロアチア独立の闘士」と呼ばれるイェラチッチ総督が活躍します。

総督の名にちなんで、1848年から「イェラチッチ総督広場」と呼ばれるようになり、1866年には総督の銅像が設置されました。

しかし、1945 年 第二次世界大戦を経て社会主義時代(旧ユーゴスラビア時代)が到来すると、様々な民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人)が共存する旧ユーゴスラビア国内で〈クロアチア独立の闘士〉とされるイェラチッチ総督は広場にふさわくないとなり、銅像は1947年に撤去され、「共和国広場」と名前を変えます。

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1980年 5月 旧ユーゴスラビアのチトー大統領が87 歳で死去すると、連邦共和国の機能は不全となり、1991年 6月 に、スロベニアとクロアチアが旧ユーゴスラビアから独立します。

独立の際に、広場はまた「イェラチッチ総督広場」の名に戻りました。

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そして、イェラチッチ総督の誕生日である10月16日に銅像は元の場所に戻されました。

19世紀当時、銅像は北のハンガリー方面に剣を向けて設置されていたそうですが、現在はハンガリーとの友好を示すために南を向いて建っています。

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イェラチッチ広場
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