『Turning point in LIFE』 ‐小島玲香さん
独特な人生やユニークなキャリアを歩んできた人に焦点を当てて取材していくメディア『Turning point in LIFE』。
キャリアに迷ったり、今後の生き方を模索したりしている人の何か参考になればという想いから、筆者(廣田悠介)が構想を立ち上げ、取材・執筆を通して記事に残していく本企画。
本企画の大きな特徴は、インタビュアーの人生や人柄に興味を持ち、お話を聞きたいと思ったら、直接連絡して本人と繋がれるという点。
そんな『Turning point in LIFE』の記念すべき第1弾は、現在沖縄県の宮古島で活躍する小島玲香さん。
彼女の生い立ちや苦悩をはじめ、人生の転機やきっかけとなったできごと、キャリアの歩み方など、取材を通して紐解いていきます。
ぜひ、気軽な気持ちで読み進めてもらえたら幸いです。
さまざまな経験を積んだオーストラリア留学
ー就職活動の直前に、1年間オーストラリアへ留学するって、なかなかの決断ですね。
自分って、良くも悪くもやりたいことが見つかったらそこに一直線になって、周りが見えなくなるんですよ。
大学時代にはずっと海外に行きたい、留学もしてみたい、と思っていたんですが、所属していたダイビングサークルが楽しすぎてなかなか行く機会がありませんでした。
大学4回生になって、ダイビングサークルを卒業して就職活動の時期がやってきた途端に、今まで貯めていた海外に行きたい気持ちがブワァって出てきちゃったんです。そこからは、急いで大学に休学届を提出して、1年間オーストラリアに留学しました。
ここだけの話、休学届を提出しようと思ったら、提出期限が切れていたんです(笑)。
でも、どうしても休学してオーストラリアに行きたかったので。なんとか大学に頼み込みました。そうしたら特別にOKをもらって、なんとか休学できました。
ー就職活動をせず留学に行くことに対して、親には反対されなかったんですか?
特には何も。親は昔から放任主義だったんです。「玲香がやりたいことを自由にやっていいよ」と。でも自分の好きなように生きるかわりに、必要なお金は自分で稼いでねと、いう感じでしたね。
渡航費や生活費など、その当時は本当にお金がなかったので、オーストラリアで必死に働いて頑張って稼いでいました!
ーオーストラリアでは何をしてお金を稼いでいたんですか?
もう、本当にいろんなことをやりましたよ。最初は日本食レストランで働いていて。その後はご縁で、日本語を教えるプライベートスクールで子どもたちに日本語を教えていました。
ちなみに留学した当初は、本当に仕事が見つからなくてめちゃくちゃ焦りましたね(笑)。
今思うと、学校に通いつつアルバイトもする、というのはとってもハードでしたが、よくやり切ったなと思っています。良い経験が積めましたね。
衝撃を受けたシェアハウス暮らし
ー留学後には、物流会社に就職されたそうですね。
そうですね。帰国したタイミングが、とにかく就職活動がはじまるギリギリだったんです。
だから自己分析や業界研究などの時間がまったく確保できないまま就職活動を始めてしまって。
その影響もあってか、受けた企業にとことん落ちまくりました。かなり精神的に病みましたね・・・。
自分で言うのも恥ずかしいんですが、学歴も悪くないのに本当に内定を貰えない。でも自分のなかではなんとなく原因は分かっていました。就職活動って、自分のことをいかに大きく見せたり、やってきた活動を盛って話せるかが大事だと思うんですが、自分はそういうのがとっても苦手なんですよ。
面接官に、自分のありのままを素直に話しすぎて、まったく結果が出ない苦しい日々でした。その中でも、3社内定をいただき、最終的には海外への赴任制度があるということで今の物流会社に就職を決めました!
入社してみたら、会社自体はとても良かったです。雰囲気もいいですし、関わる人にも恵まれました。だからこそ、飽き性のわたしでも4年間勤めることができたと思っています。
今振り返ると、就職活動は失敗したと思っていますが、入社した会社は大正解だと思っているので、結果的には良かったですね。
ー物流会社に勤務しながら、途中からはシェアハウス暮らしもスタートしたそうですね。
実は昔から、ずっと海沿いで暮らすことに強い憧れがあったんです。学生時代にダイビングサークルに所属していたのも、海が大好きなのが理由です。
社会人になって数年経ったときに、新型コロナウイルスが流行り始めました。コロナウイルスの影響により、毎月のように行っていた旅行が行けなくなったのがきっかけで、憧れだったシェアハウスに住もうと決めましたね。
いつも旅行で得ていた刺激だったり、自然に囲まれる時間がなくなったりして、昔から憧れていた海の近くに住みたいなと思って。
それで海沿いのシェアハウスを探していたら、湘南・江ノ島エリアにある「絆家シェアハウス」を見つけたので、すぐに内見を申し込みました。内見したら、思ったより海のすぐ近くで、雰囲気もすごく良かったので住みたいなと。
最終的には、内見を担当してくれた絆家シェアハウスの代表・まーしー(平岡雅史)さんの人柄の良さに惹かれて住むことを決めましたね。
ー実際に絆家シェアハウスに住んでみてどうでしたか?
すべてが衝撃でした。まず、ちゃんと働いているのが自分1人しかいなかったんですよ!
絆家シェアハウスは関東と関西の各地にあるんですが、私が住むことを決めた湘南・江ノ島エリアにある『絆家シェアハウス うみがめ舎』のコンセプトがアーティストシェアハウスだったのもあって。
もちろん、私のような普通の会社員も入居できるんですが、アーティストシェアハウスというコンセプトもあり、夢追い人ばっかりでしたね。漫画家を目指していたり、絵描きさんがいたり、YouTuberを目指していたり。
なんかもう、今まで敷かれたレールの上を歩いてきた私にとって、すべてが衝撃的でした。と同時に、かなり落ち込みましたね。
ーかなり落ち込んだとは、どういうことでしょう。
自分って、昔から将来の夢とか、なりたい姿とかがまったくないんです。
だからこそ、みんな自分の軸を持っていて、それに向かって突き進んでいる姿を見て、自分自身は何をしているんだろうって、落ち込みましたね。
でも、とある時にたまたま外資系の人とか、金融マンとか、仕事をバリバリ頑張っている人達と合コンをする機会があって。その人たちと楽しく話して家に帰ってきたら、今度は夢を追っているシェアハウスのみんなが「玲香お帰り〜」って迎えてくれるんです。
両者の住んでいる世界はまったく違っていて、大きなギャップもあります。でも、自分としてはどちらの良さも分かるし、どちらの生き方が正解か不正解かなんてありません。
仕事をバリバリ頑張っている人たちも素敵だし、アルバイトをしながら夢を追って頑張っている人たちもとってもかっこいい。
自分の人生、生き方は自由ですしどれも正解です。そして気づいたのは、私はどちらのタイプの人間ともすごく本質的に仲良くなれるということ。
この話を友達にしたら、
「いろんなタイプの人と仲良くなれるなんて、玲香ってすごいね!」
って言われました。
当時のわたしからしたら、それは普通だと思っていたんです。でもどうやら、誰とでも仲良くなれるのが私の強みだと気付かされました。
結果的にそのできごとがきっかけで、自分の自信にも繋がりました。それまでは、夢もなくて全部中途半端な自分に嫌気が指して、病んだり落ち込んだりもしていました。
でも今は、堂々と自分らしく生きられるようになりましたね。
憧れだった離島生活へ
ーちなみに、会社を辞めた理由はなんだったのでしょうか?
会社を辞めた理由は、ひとことで言うとコロナですね。
実は勤めていた物流会社自体は、ずっと1〜2年目くらいからずっといつか辞めようと思っていました。人はとても良かったんですが、業務内容がどうしてもつまらなくて。悶々とした日々を過ごすなかでやってきたのが、新型コロナウイルスです。
ずっと辞めようと思っていたなかで、コロナが決定打となり、仕事を辞める決断ができました。
というのも実は、私が働いていた物流会社には海外へ駐在できる制度があったんですよね。5年勤めれば海外で働けるチャンスがあったのですが、コロナの影響で海外に行ける見込みが立たなくなっちゃって。
それで、やっとやめようかなと決断できました。
ー宮古島へ行こうと思った理由を教えてください。
コロナが流行り始めた頃に、自分の仲の良い友達が五島列島に移住したんですよ。それで、会社の休みを使って五島列島に住んでいる友達に会いに行きました。
そしたら、その友達が地元の人たちとすごく仲良く関わっているのを見て、「楽しそうだし羨ましい!」って思ったんです。単純な憧れですね(笑)。
実はもともと島自体は大好きで、いつかは島暮らしがしたいな、って思ってたんですが、このできごとをきっかけに「いまだっ!」って思いました。
そこから、離島で働くにはどうしたらいいのか調べていたら、宮古島で面白いことを仕掛けている会社を見つけて。
島自体はどこでも良かったんですが、やりたい事業があったのが宮古島だったので、すぐに応募して、そこからはとんとんとんと。
宮古島の会社に内定が決まったらすぐに、シェアハウスへも退去申請を出して。付き合っていた彼氏にも、
「宮古島に移住することになった。」
と後から伝えましたね。とっても驚いていましたし、でも理解もしてくれていい彼氏だなと、改めて思いました。
宮古島へ移住して今はちょうど1年半くらい経ちますが、充実した毎日を送っています。
玲香さんが大切にしている考え方
ーこれまで玲香さんの経歴や生き方を聞いて、行動力に驚いています(笑)。
自分自身では、行動力があるとは全く思っていなくて。ただただ、自分の欲求に素直に生きているだけなんだと思います。
その瞬間のやりたいことに対して、どうしたらできるのかって考えて、それに向かって突き進む。ときには迷いますし、もちろん悩みます。でも、人生はあっという間だと思っているので、これからも自分が1番納得できる生き方を選択し続けて生きていきたいですね。
ー読者のなかには、人生のキャリアや今後の生き方に迷っている人もたくさんいると思います。何かメッセージをお願いします。
まずは、自分が今やりたいことに対して全力でやったらいいと思いますね。さっき言ったとおり、実は私も「将来なりたい姿」とか、「将来の夢」って何もないんですよ。
逆に、小さなやりたいことはたくさんあって。それを1つずつやりながら、自分に合っているかどうか試しているという感じですね。
これまでにたくさんいろんなことを経験してきましたが、それでも将来のビジョンややりたいことは見つかっていません。でも、色々と経験してきたなかで、
と思っています。そして、「将来の夢」を持たなければいけない、なんて全く思いません。
強いて言うなら、自分がやりたいことがいつでもできるような余裕を持つことが、自分の幸せだな、と気づきました。
「精神点」「時間的」「金銭的」「物理的」な余裕ですね。この4つを常に維持するのが私の夢です。
そして、私は実際にいろいろと試さないと納得できないタイプなので、これからも小さなやりたいとはすべてやり続けて、自分の心の動くままに、正直に生きていくと思います。