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阪急電車の創始者・小林一三さんから学ぶ。平凡なことを忠実に行う。

みなさん。こんにちは。津田です!今日も大笑いしながらハードワークします!

さて、本日伝えたいポイントは下記の3点!!!

✅阪急電車は沿線の住宅開発を共に行うという独創的なアイデアによって大成功を収めた。
✅阪急百貨店は庶民派のデパートとしてオープンした。
✅小林一三さんは平凡なことを忠実にやる重要性を説いている。

本日は偉人である「小林一三」さんについて学びながら
書いていきます!

事業


伝えたいこと①:「小林一三」さんの功績とは!?

さて、「小林一三」さんとの功績とははどんなものなのでしょうか?

小林一三は、1873(明治6)年、現在の山梨県に生まれました。

19歳の時に慶應義塾を卒業し、三井銀行で本店勤務の後、大阪支店に赴任します。この時、銀行員時代の先輩達との出会いから事業の面白さに目覚めていったとのことです。

1907(明治40)年、三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道(現、阪急宝塚線・箕面線)を創立します。
1910(明治43)年運行を開始した電車事業は、沿線の住宅開発を共に行うという独創的なアイデアによって好調なスタートを切りました。

1920(大正9)年には神戸線が開通し、社名も阪神急行電鉄と改め「阪急電車」として親しまれます。
一方梅田には、1929(昭和4)年、阪急百貨店(現、阪急うめだ本店)を開業し、洋食をメインとした大衆食堂が大人気となりました。
また、宝塚歌劇阪急ブレーブス、そして東宝を設立するなど、たくさんの人たちが楽しむ事業を次々に成功させていきました。

百貨店

伝えたいこと②:深く知ろう「阪急百貨店」!!

さて、上記の「阪急百貨店」を深く理解していきましょう!

阪急百貨店は
1929年(昭和4年)、大衆に向けての夢の集大成として世界初のターミナルデパート「阪急百貨店」を開業しました。
 地下2階、地上8階という、当時では群を抜いた規模を持ち、従来の高級百貨店としてではなく、より多くの人々に親しまれる新しい百貨店を目指しました。
その後、1947年(昭和22年)に、株式会社阪急百貨店は阪急電鉄より分離独立しました。

ここから都市生活者の新しいライフスタイルが生まれたといいます。

ライフスタイル

伝えたいこと③:本日の格言!!!

さて、そんな「小林一三」さんの格言はこちら!!!

『成功の道は信用を得ることである。どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は将来の見込みはない。』
-小林一三-

まさにやるべきことをしっかりとやることですね。

僕もやります。

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