「知識があることを強みにするのは弱い」と感じる話。
こんばんは。
伊藤です。
私の今いる業種は、知識がある人がチヤホヤされる業種だ。
あの先生は知識量がすごい。
なんて言ってもてはやされる。
たしかに知識があることは、その場、その時点での差にはなるだろう。
お客様に価値を提供するうえでも知識は多ければ多いほど良い。
しかし、「知識」がある「技術」がある、これだけでは差別化にはならないと私は思う。
まず、「知識」「技術」は自分だけの力で手に入れてきた物ではないはずだ。
そもそもが誰のものでもない。
必ず教えてくれる先人がいて、後進に引き継いでいくものだ。
よく、私のお客様や仲間でも、「今日聞いたことをブログに書いたり、商品にしてもいいですか??」と律儀に聞いてきてくれる方がいる。
もちろんOKだ。
知識、技術を伝えるのに使ったスライドや資料を転用するのはルール違反だ。
しかし、知識、技術自体はそもそもが誰のものでもない。
手に入れたのならもうあなたの物。
私に義理立てすることもない。
美味しい料理のレシピを教えてもらったとして、そのレシピを人に教えてるのはルール違反だろうか??
自転車の乗りかたを教えてもらったとして、誰かに自転車の乗りかたを教えるのはルール違反だろうか??
知識、技術のセミナーなどを行う方にも、「この技術は門外不出で。」やら「この知識は外部流出禁止で。」などと言う方もいる。
人それぞれだが、私は無理があると感じる。
だって何のためにお金を払って時間を使っているんだ??
そして定義が曖昧なことが多い。
①「この知識でお金を稼ぐのはダメ」
②「この知識でセミナーを行うのはダメ」
などと言うパターンを見たこともあるが、①のパターンはそもそも意味がわからない。
教えてやってるとでも思っているのか。
時間とお金を受講者は使い、講師は対価として知識、技術を提供する。
公平な取引だろう。
これは商品にしているのだからそこに「尊厳」「上下関係」は基本的には生じない。
「安く教えてやってるんだ。好意で特化でやってやってるんだ。」ではなく公正な料金で商品化する知識と技術が不足しているに過ぎない。
②のパターンは、定義が曖昧だ。
その知識を仲間に伝え、仲間がセミナーを行うとする。
制約を受けるのはどこまでの範囲なのか?
仲間からすれば、そんな話、聞いてない状態だ。
また、30年後にその知識を一部に含む形でセミナーを行なったとする。
どうなんだろう。
これでも本当に効果は持続するのだろうか?
どの範囲が制約を受ける?
どれくらいの期間制約の効果をもつ?
どの関係性の人まで制約を受ける?
そもそもが知識に特許や独占はない。
信頼関係を壊す、などと脅すしかないわけだが、受講者やその後進も、時間とお金を使っていることを忘れてはならない。
そもそもお金や時間を使っていて、知識を出す側が承諾したのなら、もうそこで取引は公正に行われた。のだ。
その後に「チヤホヤされる」「偉そうにできる」「制約で縛る」などの付加価値はつかない筈だ。
「俺は知識、技術がある。教えてやるからありがたく思え。」調の人が私の業界は多い傾向にある。
残念だ。。
遅い。遅いよ。
たしかに知識、技術を習得した努力は認める。
3年勉強したことを2日のセミナーにまとめて人に渡すのは悔しい気持ちにもなるだろう。
そこで、考えるべきなのは、出来もしない制約で縛ることではなく、自分が納得する対価設定をすることだ。
対価をきちんと設定することができない。
また、対価をあげるとクオリティを上げなくてはならない。
マーケティングもセールスもよくわらない。
だからそこそこの値段にして、納得できない気持ちを埋めるために偉そうにしているのだ。
価値を提供して、正しい対価を得ることを学ぶ方が、お互いにとって幸せだ。
俺は職人だからそんなことはわからない!と、言うのはもう時代遅れの甘えだ。
私が勉強するのは価値を作るため。
知識、技術、スキルが増えれば増えるほど人を救える。役に立てる。与えられる。
必然的に稼げるようになる。
必要なのは、「正しい、自分が納得できる対価を受け取ること。」
それも知識と技術なのだ。
私も知識を増やしていき、色々なことに挑戦していく。
セミナー講師を行う日も来るだろう。
その時に私は取るべきスタンスをこう考える。
・自分を疲弊させる納得感のない安売りは絶対にしない。
・対価が発生した時点でその知識、技術は完全にその人の物になることを念頭において、出す物、出さない物、分割して出す物を決める。
・得た知識はどのように使っていただいても構わない。
・決して精神的優位に立つような在り方をしない。(受け取っていただくためにブランディングはするが。)あくまでも対等。
また、こうも考える。
知識、技術では差別化できない。
知識は所詮知識に過ぎない。
技術は所詮技術に過ぎない。
学んでしまえば習得できる。
では何で差別化し価値を生み出すべきなのか?
差別化には価値が必要なのだ。
知識、技術以外の価値は何があるだろう。
それは人間性かもしれないし、根本の在り方かもしれない。
真似しづらいものでなくてはならない。
真似しづらいものは、習慣、言動、根本の在り方、人間性、価値観など内在的な物ではないか。
これらを磨くには、これらを育むための「知識」と「技術」を手に入れたうえで、それを磨く強い「意志」、それに伴う「習慣」と「言動」の見直しと実行。継続。が必要だ。
中途半端な気持ちの人には絶対に真似できない。
知識、技術など外在的なものではなく、内在的な物を磨くことこそ、強みとするべきだ。
私はそっちの方がかっこいいし安定すると思うよ(^^)
結論
①知識、技術がある人は尊敬するが、知識、技術は所詮は知識、技術。学べば終わり。真似できる。
②よって知識、技術がないからと卑屈になることはない。学べば良い。学べないなら内在的な物からアプローチすべき。
③逆も然り、知識、技術で価値をだすならば、納得する対価を設定しよう。
真似されるのは当たり前。そのために対価を払っているのだから。
これからの時代は、情報量が増えていく。
それに伴って情報の価値は下がっていく。知識、技術があるからと優位には立てない。立つべきではない。恥ずかしい。
④知識、技術も大切だが、内在的な物を整える方が価値があると考える。
長い時間と習慣化する意思と、日々の自制が必要となる大変な作業の上に成り立つため、真似もされない。
本当の差別化ができる。
⑤知識、技術があることを誇るのではなく、知識、技術を学び続けられるマインドは誇っても良い。これがないのが1番問題。
PS
⑥内在的な物を作り上げていくための知識、技術は、また今度、詳しく書きますね。
ぜひ真似してください。
そう簡単に真似できないので価値は下がりませんし、内在的な物が整い、コントロールできている人が世に増えるほど世は良くなる。(スピリチュアルではないです!!笑)
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