後ろ歩きだけど (想い出の山梨暮らし Week 16)
山梨ひとり暮らし、当時の記録。
日常になった生活の中で、ぐるぐると考えていること。
前回はこちら↓
山梨へ引っ越し、新たな環境での暮らしが始まってたった数日目に、僕は「あぁ、限界だな」と思ってしまった。
あのとき何が引き金だったのか、当時はまだ気がついていなかった。
環境の変化なのか、慣れない仕事にいっぱいいっぱいになったのか。どちらかが、もしくはどちらもが、原因なんだろうなって思っていた。
でも今になって振り返ると、あの時期いろんな人に言われていた言葉が一番の原因だったことがわかった。
「これからどんなことしたいとか決めているの?」
僕はとりあえず何かを求めて山梨に来た。
その何かは、まだわからず、それをずっと探している日々だ。
当時そんなことをいろんな人に聞かれるたびに僕は「今この新しく踏み入れた世界でいっぱいいっぱいなのに未来のことなんか考えてる余裕なんかないんだよ」って心の中で叫んでいた。
まあでも、必死に言葉を探して探して、こう返事するのがやっとだった。
「まあ、暮らしているうちに、見つかればいいかと。へへへへ」
とは言いつつ、この先の未来を全く見据えてないことに焦りを感じていた。そうか、未来のこと考えていることが社会では当たり前なんだな、なんて。
「未来に希望を持って生きる」ことが僕は苦手だ。
どちらかというと「生きてきた過去を信じて、今、ここにいる」という感じ。
山梨で暮らすことを、例えば1年くらい前から考えていたとしたら、僕は考えて考えて「行かない」選択をしていたと思う。「きっとうまくいかない」という未来を決めつけてしまうから。
だから2月のある日、応募締め切りの直前に思い立って、書類を出して、とにかく何も考えずに、思い立ったまま行動を始めていた。
それは山梨で生きていく未来に希望を持っていたわけでは全くなくて、過去を振り返ったときに「動くなら今だよ」という大きな衝動があったから。そしてその衝動は、直感的にとても信じて良いものだと思えた。
不確かな未来を信じて走り出すより、確かな過去を信じて生きてみた方が、今が変わるんです、僕は。
例えば「数年前のあの頃に比べたら、今のほうが良いじゃん!」という、その自信がものすごく大きな力になるのです。
だから僕が山梨暮らしを経た未来に何をしていくかが全くわからないのは当然のこと。この山梨での「今」が「過去」になっていったときに、きっと少しずつ見えてくる。
常にお先のことは真っ暗。
ネガティブだと思われるかもしれないし、後ろ向きだなぁと笑われるかもしれない。
でも後ろを向きながらも、進んでいる方向はみなさんと同じ方向なんです。つまずくことは、前を向いて歩いている人よりは多いけど。
僕は5年ほど前、誰にも見せないノートに日記を書いていた。
それは約1年間、毎日書いた。
誰にも言えないことを吐き出すために。
その日記にある日こんなことを書いた。
「未来が見えなくなったら、過去を見ると、少しは今が楽になって先に進めるのかも」
ずっと考えていたことが、やっと少しだけ言葉にできた日だった。
その日記を書いてから数年が経ったある日。
僕は大好きな小説家・西加奈子さんの「うつくしい人」という作品を読んだ。大人の女性の恋愛の話なのに、読んでいてどうしてこんなに共感できるんだろう、などと思いながらその世界に没入した。
西さんのあとがきを読むと、あの時僕が日記に書いたこととほとんど同じことが書いてあった。そのあとがきを読み終わってから、しばらく動けなかった。
もちろん日記に書いた自分の言葉とすぐに照らし合わせたし、ほとんど同じことを思った人がいること、しかもそれが西さんであることが嬉しくて、どこか救われた気分だった。
来年はもう東京に戻っているかもしれないし、まだ何年かは山梨にいるかもしれない。
どうなるか、今は全くわからない。
26年分の過去と相談して、今を一歩ずつ進んでいく。
それだけが今の僕にとっての確かなことだ。
あぁ、最近特に何も出来事がなかったから、内面のことばかり書いてる気がする。
どんなことを考えていても、言葉にしたら心は軽くなるもの。
(2021年8月8日)