ハラスメントって結局なんだ
最近というほど最近というわけでもないが、○○ハラスメント(〇ハラ)という言葉が巷でよく使われていることが話題になって久しくない。もともと使われていた、パワハラや、セクハラという一般的に使われてきた言葉だけではなく、モラルに関しての”モラハラ”、論理的思考(ロジック)に対する”ロジハラ”、このような一般的に対人同士でのやり取りから生じるハラスメントから、ユニークな有名な漫画をもじった”キメハラ”などといったハラスメントを用いた言葉が横行している。このようなハラスメントという言葉を使う理由について考える。
1、本来のハラスメントとは
2、現在のハラスメントとは
3、ハラスメントの解決点と着地点
1、本来のハラスメントとは
ハラスメント(Harassment)とは「他者に対する発言、行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えること」とされている。つまりは考慮されるべき点としては①不快、②尊厳、③利益、④脅威の主に四つに該当するものがハラスメントであるとされている。
例えば、パワハラであれば
上司A「なぜこのようなこともできないのか!お前の根性が腐っているからだ!」
部下B「。。。 申し訳ありませんでした。」
などと発言した場合、上司Aの発現そのものが①不快を与え、”根性が腐っている”というように本来の趣旨から外れた部下Bの②尊厳を貶めている。また、上司と部下という関係性からAとBには利益関係が生じていることは事実であり、③利益における不利につながるのは想像に難くなく、このような発言が④脅威として認識されるだろう。
このように基本的には発言者の意図に介さず、受け取り側の裁量によって変動するという点がミソである。すなわち、発言者と受け取り側の社会的関係性的要因が強く反映されることがわかる。そのような観点から上記のように、上司‐部下といった社会通念上の上下関係や、男性‐女性といった性別による隔たりによる立場、所属するコミュニティーの差によって生じるものが主に取り立てられてきていた。このように、自身と所属するコミュニティ、階級、性別、など自身が属さない他方に対し適切な配慮、理解を欠いてしまう、または自身の所属する側が他方よりも上位であるという優越から生じる誤解によってというような場合がある。
従来のハラスメントとはこのように、”発言者が受け手に対し社会一般的に序列がある際に、その行為を掲揚するための言葉”とされるものであった。
このようにハラスメントという言葉を利用する一番の利点としては、自身の力では③のように不利益を被る関係性において、自身の立場を危険にさらすことなく事態の改善を行うことができるという点が大きい。ハラスメントという言葉が普及することにより、本来であれば上司によるイビリとして看過されてしまった事象も、集団意識下に存在することによりハラスメント行為が自身の尊厳や立場、利益を損なう行為であると発言側に認識されることが可能となり、事態が改善されると考えられる。
このように、本来のハラスメントとは、自身の力のみにより発言者へ抵抗ができない際にハラスメントという言葉、概念を使い防衛を行うという非常に有用な手段であるのではないだろうか。
2、現在のハラスメントとは
現在のハラスメントにおける構図は主に一昔前までの本来のハラスメントが生じてきた関係性とは異なるものが多く見受けられる。ハラスメントとしての構図である、受け手側が上記の①~④の内容を満たす場合に生じるという点においては変わりはないのだが、大きく変わっている点は発言者と受け手の関係性である。本来であれば、既出のように立場的序列の違いにより発言者に対する抗議が行いにくい場合などが主である。しかし、現在のハラスメントの内容は低俗化し、”自身の力で対処できない際の抵抗手段”部分のみが強く存在、意味していると考えられる。
例えば、今話題のキメハラ(鬼滅の刃を無理強いしてくるハラスメント)について考察してみる。
A氏「え!Bってまだ、鬼滅の刃見てないの!?なんで見てないの!?みなよ!!柱の人たちかっこいいよ!全集中だよ!」
B氏「それキメハラだよ!(僕が好きなのは貝柱だし、禅に集中したい。。。)」
このような場合どうだろうか。A氏とB氏の関係性はあくまでも友人関係程度にしておこう。この場合、ハラスメントの定義として含まれるのはおそらく①不快という点だろう。言い方によっては②尊厳という点にまで波及することはあるだろう。
確かに、会話において受け手が不快になるような内容を話されては、気分はよくない。このB氏においても愉快な話題ではなかったであろう。しかし、ハラスメントの利点は”抵抗できない発現者への抵抗手段”であるため、このようなA氏とB氏の交友関係であれば十分、口頭にて「僕はあんまり好きじゃないんだよね」、「時間があったら見てみるよ」と話題をそらすことも可能であり、「あんまり無理強いしない方がいいよ」など忠告することも可能である。しかし、彼は自身の考えを言葉にすることなくキメハラであるという趣旨の内容の発現で相手を一蹴するのみであった。つまり、このように何かしらの通常的な会話の表現を用いれば十分対応できる事象に対し、ハラスメントという言葉を濫用することにより自身の力でなく、ハラスメントだ!という言葉のみで解決しようとしているのである。
つまり、現在のハラスメントの問題点とは、”自身の言葉を使わず、ハラスメントという言葉のみで問題を解決しようとしている”というところである。元来、人間は思考を行い、それを言葉に発することにより会話を行う。その会話上において、意図せず会話相手に不快な思いをさせてしまうことは少なくないだろう。その際には、それ相応の思慮を伴った返答を行えばいいだけなのである。そして、特に我々人類はそのような会話を行うことにより、対人間での不和を解消し、ある程度良好な対応をしてきているのである。しかし、このハラスメントという言葉は対人間の論理的対話における不和の解消を阻害し、一方的に対話の門戸を閉じ、あなたは間違っているというレッテルを対話相手に突き付けているようなものである。つまり、このハラスメントと発現すること、は自身の一切の思考の過程を排除し単一的な意味を持つカードを提示するように、言い放つだけの会話において一番の愚行である。
しかし、実際問題このようなハラスメントという言葉が流行していること自体、深刻な問題であることには変わりなく、このような対人における会話、議論のさなかにおける問題解決方法が確立されることは避けなければならないことである。そして、なぜこのような単一的な言葉に依存するような思考方法になってしまっているのか、という点も同時に考慮し、解決策を模索しなければならないと思う。
3、ハラスメントの解決点と着地点
このように、従来の”抵抗できない発言者への抵抗手段”という意味合いのハラスメントにおいては、今まで以上に理解が進み、パワハラやセクハラなどといった犯罪に怯える被害者一刻も早く減少し、誰もハラスメント下に苦しまないことが望まれる。しかし、”思考を放棄し、抵抗を示すだけの手段”であるハラスメントは逆にこのハラスメントと命名する分化自体が撲滅されるべきである。会話や特に議論において、参加者において常に心地よい内容だけで進行することはありえなく、不和を生じさせ、解決させることに議論の価値がある。そのためには、自身の思考を表現する訓練、自分と異なる他者の意見を尊重し受け入れる訓練が必須であろう。
すべての意味でハラスメントに苦しめられる人が、ハラスメントという言葉から解放されるために。