vol.10 出汁巻き玉子
8月、お盆を過ぎた頃、出汁巻き玉子を任せてもらえるようになりました。本来は2年目から任される仕事です。にも関わらず私が早くも任されるようになったのは、私が多少物覚えが良く真面目であることが主因ではなく、それまで出汁巻きを任されていた1つ上の先輩が、簡単に言うと、「もう嫌だ」と言い出したためでした。
恐らく、充分に上達したことと、夏の暑さで参ったのでしょう。彼は尤もらしい理由を付けて料理長に進言し、半ば私に押し付けるように仕事を譲ってくれたのです。私の気持ちとしては仕事ぶりを認めてもらったから新しい仕事を任されたという事実が欲しかったのですが、新しい仕事を貰えること自体は理由はどうであれ、願ったり叶ったりの話でした。
「出汁巻き教えたるわ。ホントはこんな早くから任せてもらえへんのやぞ」
と恩を着せるように言う彼の表情もすんなりと受け止められ、いつも以上に感謝の意を素直に表わせます。
包丁仕事であれば居残って練習することができましたが、出汁巻きはそういう訳にはいかず、まだやったことがありません。それに他の先輩たちが盛んに難しいと口にしていましたので、ひしひしとした緊張感に包まれます。
仕事の順序について述べておくと、出汁巻き玉子の仕事はその技術から本来は焼き場(この店では3年目の持ち場)の仕事です。火を操る仕事とも言えます。火を操ると言っても、素材と道具が様々にありますので、この技術を習得するにあたり、焼き方の一つ手前の持ち場である油場を担当している時に少しずつ覚え始めるのです。その教材として出汁巻き玉子が適材だったのだろうと私は思っています。
まずは、先輩が見本を見せてくれます。彼は「菜箸から少し垂らしてな、ジューってなったら入れて・・・、気泡をポンポンつぶしてな・・・、ふっと、こんな感じで返していくねん。焦がさんように早く巻かなアカンで。あと、鍋の温度が下がると玉子がこびりつくから」と実演しながら説明してくれます。つまり骨格筋を使った身体表現と僅かばかりの言語表現を交えて情報伝達を試みたのです。当時としてはごく一般的な教え方で、感覚の乏しい人はこれに大体つまづいてしまうのです。
私はそれを全身全霊で聞きます。先輩に二度も同じ説明をさせるのは申し訳ないし、またそれ以上に出来ないことを恥だと思うからです。そして彼の動きをなぞるように想像上で自分の体を動かしていきます。
後輩が見ているからか、一本巻き終えるまでの行程で途中、玉子を返す時に片側だけが上手く返りません。玉子が捻じれている状態です。先輩は難しさ、焦り、戸惑い、苛立ちの表情を浮かべて、体を一層緊張させて何とか返していきます。それを見ている私も無意識にその動きをなぞります。そうすると緊張した顎や肩や腹の筋肉の捻じれと偏りに痛みと息苦しさを憶えます。いつの間にか全身を熱く硬直しています。そして焦げる前に何とか返った玉子を見て捩じれと偏りのよりを戻すのです。その時、何とも言えない安堵が体中に拡がっていきます。それは乾いた大地が潤いを取り戻すかのようであり、私の手は自然と汗を握っています。
玉子地をお玉で掬い4回にわたって継ぎ足して焼いていくと段々と玉子は大きくなっていきます。玉子が大きくなると緊張感が増すのか、先輩の体の動きは大仰になります。その動きをなぞる私の感覚もその度に大きく動きます。返しが上手くいき、ひょい、ひょいと巻いていく様をなぞっていくと、玉子が返される度に自分の吐息の動きによって耳の後ろ辺りに涼しさを憶えます。4杯目を入れ最後のひと巻きを上手に返すと、先輩は綺麗に出来上がった出汁巻き玉子を巻簾にとります。その様に、私の体と意識は微かに痺れ足が大地に張り付いたような感覚を憶えます。
先輩は3本巻いて見本を見せてくれました。その3本を巻いている間に、玉子を返すことについて私はあることに気付きました。それは巻き鍋を持つ左手の拳から鍋の先までを体の中心線に沿ってブレることなく上下に或いは弧を描くように動かすと玉子が捻じれることなく返るのではないかと思ったのです。
それは巻き鍋の動きが学生時にやっていた剣道の素振りと似ていると思ったからです。剣道の素振りでも左手が軸になります。ヘソの手前に置いた左拳の内、小指と薬指の2本で竹刀を握り、左手の他の3本の指と右手は添えるだけだと教わります。もう少し説明すると、上下運動は左手の小指と薬指のみで対応し、これは中心線からずらさない。そして残りの3本の指と右手で左右への動きに対応します。その為、真っ直ぐに竹刀を振る時は3本の指と右手は添えるだけになるのです。この使い分けが未熟で力が入ってしまうと、竹刀は真っ直ぐに振れませんし、速度は遅くなり、力は弱くなります。
そのようなことを思い出しながら見ていると、マット運動の前転と後転にも似ているなとも思いました。あの動きをそのまま左手で再現すれば良いのかもしれないとも思います。
そんなことを思い、半信半疑でいると私の番になります。巻き鍋を持つと思いの外、重いことに驚きました。しかも一般的なプロ用のものよりも1.5倍ほど大きいとのことでした。
「まず、みんな重さに驚くらしいで。初日はせいぜい2,3本巻いたら腕がパンパンになるらしいわ。俺もそうやったもん」
巻き鍋を持ち、その重さを実感しながら先輩の言葉を聞くと、なんだか貫禄が迫ってくるように思え、若干怯んでしまいます。
「まぁ、でもやってったらその内慣れるし、今日はできるとこまでやってみろよ」
私は重く堅い溜息を静かに漏らしながら気合を入れ直します。そうして、火を付け火力を全開にしました。するとボッォーという音と共に分厚い熱気が顔に当たります。緊張感が否が応にも高まってきます。私は思わず瞬きし目を細め、焦点を歪んだ空気の向うにある巻き鍋に当てます。そして巻き鍋の温度を確認すると、玉子地を流し入れました。
ジュジュジュジュジュジューと忙しない音を立てて玉子地が巻き鍋一面を呑み込むと、すぐさま怒り狂ったように小さな気泡が湧き立ち始めました。つい先ほど見たばかりの光景なのに激しく追い立てられているように感じます。やや慌てながら菜箸で巻き鍋のへりに張り付いた玉子地を切り離して、すかさず巻き鍋を上下に振り菜箸を使いながら玉子地を返していきました。一杯目の玉子地は芯を作る段階でもあり薄くて軽いため、巻き鍋の振りで玉子地を返している感触はあまり感じられません。主に菜箸でひっくり返している感覚です。
こんなものなのかと思いながらも、悠長に構えている時間はなく、心と頭に浮かんだものに反射しながら巻き鍋の上の変化に食らいついていきます。まさに瞬き一つできないといった心理です。そこには時の流れというよりも、ただ断片が光速で転げ回ると言っても良い感覚があるだけなのです。
2杯目を流し入れ、玉子地を返していくと、巻き鍋で返している感触が増していきます。菜箸に頼りすぎると出汁巻きが破け、ひどくなるとちぎれてしまうかもしれません。ですので出汁巻きが大きくなるほど巻き鍋の振り方が重要になっていきます。
「おぉ、そんな感じや」
隣から聞こえる先輩の声が意識に流れる勢いを一瞬だけ和らげてくれます。ただそれはあくまでも耳で安心するだけです。左拳に力を込めて垂直に巻き鍋を持ち上げ、出汁巻きを半回転させます。そうやって半回転させる度に上手く返ったことに目で安堵を憶えます。ただこれも目の筋肉が一瞬弛緩するだけです。これらのことは恐らく、集中した状態が続いているので副交感神経が高まっても、交感神経の働きより優位にならないからでしょう。つまり私たちが普段、心から安心を憶えた時に感じる、全身にわたる骨格筋の弛緩とそれによる内臓筋の揺らぎを目以外で感じないということなのでしょう。
助言を貰いながら3杯目の玉子地をなんとか破れずに巻いていきます。玉子を半回転させる度に先輩は隣で「おっ」とか「おおぉ」などと歓声とも驚きとも判別付かない声を上げています。最後の4杯目を流し入れると、巻き鍋が断然重く感じられます。左腕はすでにパンパンに張り、手首の辺りまで火に焼けて赤く染まっています。握力にも余裕はありません。
しかし出汁巻きは大きくなっているのであと半回転を2度させると終わりです。私は気合を入れ抜けていく力に気持ちで抗い、慎重かつ思い切り良く巻き鍋を持ち上げます。そして剣道の素振りの感覚を思い描きながら、ふっと力を抜いて巻き鍋を下すと、出汁巻きがゆっくりと弧を描いてひっくり返りました。そして呼吸を整え、この動きをもう一度繰り返すと、出汁巻きは再びゆっくりと弧を描いて巻き鍋の手前側に行儀よく収まりました。その様に、浅く小さい、大きく間の空いた断片的な呼吸をしていた私の目は瞬時に緊張を高め、そして瞬く間に弛緩しました。目の先で、中心を取った自分の竹刀が相手の竹刀の軌道を逸らし、いち早く相手の面を割った様が思い描かれます。その僅かな間に喜びと安堵を目の中で憶えたのです。
巻き終えた私はこれで良いかと先輩の方を見ます。何とか巻けたといってもやはり先輩の出汁巻きほど色も形も整っていないからです。しかし先輩は巻き終えた出汁巻き玉子をまざまざと見て、「おまえぇ・・・」と漏らすと、こちらではなく近くにいた向板の先輩の方を向いて勢い良く話し掛けます。
「こんなことってありますぅ。はじめてやったんですよ」
彼はひとり興奮していました。しかし対照的に向板の先輩は自分の仕込みの手元を見詰めたまま、
「たまにおんねん。こういう奴が」
と淡々と言うばかりです。その言葉に彼はのけ反って目を見開くと、笑みを浮かべたまま呆れ俯きます。そして不意にこちらを向くと、ぞんざいな口調で吐き捨てました。
「次、いけよ」
その刺々しさに私は驚きます。しかし直ぐに私は彼の言葉に収まりの良い感覚を憶え、「はい! 」と鋭く短い言葉を吐き、神妙な態度で応えました。何故なら出る杭となって先輩の機嫌を損ねたら仕事を教えてもらえなくなるのではないかと常日頃から疑っていましたし、そもそも人と争う気はないからです。願わくは私にとって意味のない、競争という緊張ではなく、物事とじっくりと向き合うことで自然と生まれてくる誠実さからの緊張に心を枯らせてみたいと思っていました。
その後、日に20本程巻いていく中で焦げたものや形の悪いものもありましたが、1週間もすると、大方上手くなった記憶があります。そしてこの仕込みに馴染んでいくうちに面白みに気付き次第にのめり込んでいきました。
どうすれば早く綺麗な仕事ができるのか、それをひたすら追求していきました。
油を引くための容器の位置、浸す布の形、玉子地の入った器の位置に最適さと正確さを求めます。これによって仕事のスピードを上げ、また巻き鍋の温度把握が一定化されることで温度低下により玉子地が鍋肌に焦げ付くことと逆に高温になって焦げ目が強くなることが減りました。
油を浸した布を鍋に引く手の動き、玉子地を鍋に流し入れる手の動きにも直線的な正確さを求めていきます。また巻き鍋を振る腕の動きにも型が沁み込むよう一振り一振りに意識を向けていきます。そしてその為の腰と足の位置、足が地面に貼り付く感覚にも気を配ります。
そうやっていると、ある時不意に鍋を持つ力の抜き方に気付きました。それは夢中でやっている際に無意識でやったある動作に気付いた時でした。それまでは一本の出汁巻きを巻いている最中はずっと巻き鍋を空中で持ち続けているイメージだったのですが、その時、ゴトン! と五徳の上に置いた巻き鍋の音がやけに大きく聞こえたことで、
「そうか、玉子を返す時だけ持てばいいんだ」
と気付かされたのです。そして五徳の上に置いた際に力を抜くことを覚えると、それが同時に巻き鍋の温度を短時間で適切な温度に引き上げていることにも気付かされたのです。そうなると玉子地を入れ巻いている最中に低下した温度が短時間で次の玉子地を流し入れる温度に戻るため、格段に仕事が早くなりました。しかも疲れないのです。
今思うと、これに気付いた時の、視界がサァーッと拓けた感覚こそが喜びという感情なのだろうと思いました。つまり道の拓けた感覚とは「知」であり、これを憶えた時に人は喜びという感情を抱くのでしょう。あの時、私の胸は「知」を飲み込むように大きく拡がり、丸め込むようにゆっくりと萎んだのではないかと思います。
この動きを思い返すと、人の体はつくづく面白くできていると感じるのです。そしてこの、空気の分子のめくるめくような感覚にしみじみと浸っていると、この動きを写し取って絵にし、あるいは踊りにしたものが、ひょっとして芸術というものなのかと思ってしまうのです。そう思うと、何かに夢中になっている人は芸術の中に生きているのかもしれないとも思えてきます。それとも芸術の中に生きている夢中の人が外部環境にある感覚を写し取ることが芸術なのでしょうか。
こうして上手くなってくると、段々と気持ちが入っていきます。玉子地を流し入れた際の大地を呑みこむ溶岩のような力強い拡がり、拡がった後の玉子地の沸々とした動き、この動きの収まりと表面の乾きゆく動きの瞬間にのみ生まれる艶やかな肌と柔らかな弾力、ひと巻きした際の玉子の窪みにできた揺れ動く儚い煌めき、これらの感覚を何一つ取りこぼすことのないように巻きを重ねていきます。そうして丁寧に仕舞い込んだ出汁巻き玉子に親密な感覚を憶えていくのです。
巻き簾に取った出汁巻き玉子から濃密な湯気が柔らかに上がっています。その先から届く窪みの輝きが忙しなくまばたきをしています。
「はやく、俺たちに名前をつけてくれ」
輝きが感覚たちを代表して急かしてくるように感じます。私はそれに深呼吸をして応えると丁寧に巻き簾で巻き輪ゴムで止めました。そしてまた次の一本に取り掛かります。
私は直観的に形容を探ります。そして目の先で感覚たちが存在する刹那を凝視しました。しかし目に貼り付いた感覚たちは瞬く間にはらはらと剥がれ落ちていきます。私は諦めずにそれを追い駆けていきます。もっと早く、もっと鮮やかに捉えるために。呼吸は小さく浅く・・・
こんなことを繰り返していく中で、私にも段々と出汁巻き玉子という仕事の本質的な意味が分かってきた気がします。
この感覚を丁寧に形にし、いつか、だれかに適切な言葉を与えて貰う。
これが出汁巻き玉子の仕事を私がする意味なのかもしれない。そう思うようになったのです。
今、私の手元には20年以上にわたって使ってきた巻き鍋があります。元々貰い物なのですが、貰った時にはもう使えないという理由でもらったものです。それを自分で補修してその後15年に亘り使ってきました。
新型コロナで営業自粛していた際にはこの巻き鍋でテイクアウト用の出汁巻き玉子を毎日巻いたものです。しかし約20年来使ってきた巻き鍋はその時に遂に型の歪みから油が漏れ出るようになりました。
随分前からお節料理の仕込み以外で使うことは少なくなっておりましたので、買い替えるにも戸惑います。さて、どうしたものかと思案してはいつの間にか忘れてしまっています。ただそれでも他人事のように何れどこかのタイミングで買うのだろうと思っている自分もいます。
今、飲食業界では作るのに時間を要するなどの幾つかの理由から、簡単に言うとコスパの悪さから出汁巻き玉子はメニューから消されていく流れにあります。一方で業務用の冷凍ものを見かけるようになってきました。今や、かつて私が夢中になって追い掛けた感覚、あるいは料理を通した様々な感覚を味わうことは板前にとってもお客にとってもある意味贅沢なのかもしれません。
「時短」の言葉通り、私たちの生活から感動や想像する時間は失われていく一方です。それは対処しなければならない現実的な物事(情報)が身の回りに増え続けているからでしょう。しかし動きを早めそれらにどのように食らい付いていこうとやがて追い付けなくなるのは分かっていることです。ですので私たちは取捨選択をしなければならないのでしょう。自分にとって何が必要で何が不要なのか。これが充分にできるほど、私たちは自分の関心に夢中になれ、その中で感動を憶え、またその経験をもとに物事を想像できるようになれるのではないでしょうか。
夢中の対象は人によって違うでしょうが、食生活を大切にするならば、私には想像は不可欠ではないかと思えます。
飲食店では私が知っている限りでは、遅くとも20年ほど前から料理説明を口頭でサービスしています。~産、~さんが作った、或いは簡単な料理手順などです。力を入れている店では今やこれは物語として洗練させプレゼンされています。しかし出来上がった料理を目の前に早口で説明されるその物語でお客は全身の内臓に揺らぎを感じているでしょうか。その感動は全身の震えとなって感じられているでしょうか。私が思うにはその感動はきっと、目と耳の部分的な器官と脳の間のみで自律神経が波立っているに過ぎないのであり、脳から全身に行き亘ってはいないのです。
私が出汁巻き玉子の練習をしていた、玉子を上手く返せた際の喜びが忙しなさの中で目の神経だけの小さな波に留まったのと同じように、ご馳走を目の前にされた逸った状態で感じられる感動もまた、目と脳、耳と脳を繋ぐ神経回路の中だけに限られた小さな波としてしか感じられないでしょう。また、聞かされた物語の認知は内臓反射を辿る想像認知ではなく、限りなく思考に偏った内臓反応の認知と言えるでしょう。
またそれは、物語を聞き想像すること、物事を前にその背景を想像すること、その想像認知の具体性や解像度、或いは臨場感は、想像認知が身体内部の物理的な動きを伴うものである以上、必然的に時間の長さに比例するからでもあります。
そう考えていくと、私はやはりその日その時にできることを自分の手でやっていかなければならないと思いますし、またやっていきたいとも思うのです。
今後、どこかの飲食店で手製の出汁巻き玉子を食べられたなら、それはきっと有難いことなのかもしれません。それは私にとっても同じことが言えます。私も自分で作ったものよりも他の誰かが作ってくれた出汁巻き玉子を食べる方が、その出来に関わらず、どうしてもしみじみと美味しく感じられるのです。