「僕が吉本を辞める理由」
朝鮮学校に小中高12年間通い、関西学院大学法学部法律学科に進学し、吉本のお笑い養成所(NSC大阪43期)に入学し、吉本興業所属の芸人になった。
芸歴1年目と2年目の頃はお笑いの給料がほぼ0だったが一応プロの芸人と名乗り活動していた。
週5でアルバイトをして残りの時間でネタを考えたりライブに出たりしていた。
吉本公式のライブは月に1回か2回しか無いのでインディーズライブ(吉本主催ではないライブ)にも出ていた。
大阪の吉本はインディーズライブに出ることを禁じているが、月に1回か2回しかないライブに出るだけで面白くなれるはずがないので吉本にバレないように「パクユソン」ではなく源氏名の「ウソジュセヨ(韓国語で笑ってください)」を名乗りインディーズライブに出ていた。
私は大阪の若手芸人の劇場「よしもと漫才劇場」のメンバーではなかったので、出るライブは全てチケット買い取り制だった。
吉本主催のライブに出る際は1枚800円のチケットを3枚買い取らなければならない。
2400円自腹で買い取った後、ファンの方や知り合いに観に来ていただいてチケットを買っていただく。
芸人になりたての駆け出しの私にファンの方がいらっしゃるわけもなくほぼ自腹でライブに出ていた。
インディーズライブもチケットを買い取らないといけないので毎月1万円くらいは自腹だった。
当時は韓国語の漫談をしていた。
芸歴1年目の頃はウケていたが徐々にフォーマットがお笑いファンの方々にバレだしてウケなくなってきた。
お金をもらうどころか払って出たライブでスベる日もあった。
なんばまで行き2400円払いライブに出て立ち直れないほどスベって帰った日もある。
全く先の見えない将来に不安になりながらロング缶のハイボールをがぶ飲みして泣きながら帰ったりもした。
それでもお笑いが好きでお笑いで成功している自分の姿を見たいという一心でネタを考え続けた。
そして迎えたR-1グランプリ2023。
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