「推し」は、引退期限のない部活動なのかもしれない
「推し」はいますか?という質問をあちこちで聞くようになった。
私は今までいろいろなファンをやってきたが、最近では誰しもが誰かのファンであることが当たり前になったなと思う。それどころか、ファンという言葉は「推し」に変わって消えかかっている。高校を入学する前までは、何かに熱狂している人という存在自体が少なかったというか、何かのファンになるのも、ならないのも自由意志だった。
しかし、高校に入ってから突如「推し」という言葉が参入してからというもの、「推し」についての会話がかなりメインになっていた。ファンと同じような意味で使っていると思っていたが、クラスメイトが「――君は好きとかじゃなくて、推しだから。」と言っているのを聞いてから、それぞれの推しの定義があまりにも違うのではないかと、ますます分からなくなった。
「推し」という言葉を聞くと、半ば強制的に入らされる中学の部活のような息苦しさを感じる。なんでなんだろう。自分が好きで応援している人も、「推し」として名乗ったらその後、永久的に応援し続けないといけないような気がして気が重くなる。
部活はまだ期間が決まっているだけいいが、「推し」は無期限だ。「推し」は、引退期限のない部活動なのかもしれない。
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