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食レポ|蟻月 HANARE

 視線を斜め上へと向けた。夕空の明度は刻々と変わる。日曜夜の外出。それは習慣に含まれていない。その歪みが違和感として肌を伝う。静けさも漂うバスの車内。冷えた外気と人もまばらな代官山の街並みが重なる。

 「蟻月」の言葉は不定期に頭をかすめた。恵比寿の路地裏。闇に浮かぶ、柔らかい光。十年前に口にした味は、もつ鍋の概念を高みへと昇華した。

 代官山アドレスを横目に八幡通りを歩く。奥まった住宅地に「蟻月 HANARE」はある。月明かりのような滑らかな光。十年前の光景が蘇る。温もりと洗練。隠れ家のようなこの店は、身体の力を蒸発させてくれる。

 案内された個室で子どもたちが騒ぎ始めた。時の変遷を感じずにはいられない。「白のもつ鍋」を注文した。意識は分散する。しかし、手繰り寄せた記憶を胸に抱えた。

 運ばれてきた鍋に火が入る。白茶のスープの中にもつ、豆腐、キャベツ、ニラなどが肩を寄せ合うようにして並ぶ。沸騰した鍋の火を弱め、レンゲでゆっくりと具材を小鉢によそいだ。時は埋まる。引き出しから出された記憶。真っ白な塗り絵が色で満たされるように、思い出の味わいは形を整える。こんなにももつは柔らかく、甘いのか。ニンニクと味噌はこれほどまでに共鳴するのか。スープをまとった野菜は果てなき食欲を刺激し続けた。

 月上のタイムスリップ。僕の十年をもつ鍋は語りかける。


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