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見えないものが見える場所

第一章:乾季のサバンナと妬みの輪

サバンナの乾季は、いつも厳しい。それでも今年は特に苛烈だった。
空は果てしなく青く澄み、雲ひとつ見当たらない。風が吹けば枯れた草が細かく砕け、舞い上がる埃が動物たちの視界を遮った。地面にひび割れが走り、どこを見ても食べられる草はもうほとんど残っていない。

インパラのカイは、群れの仲間たちと近くの木陰に身を寄せていた。その表情には倦怠感と苛立ちが滲み出ている。彼らの目の前では、キリンが長い首を伸ばし、高い木の葉を静かに食べていた。

「キリンなんてさ、あんな風に高いところで悠々と食べてるけど、結局自分のことしか考えてないんだ。」
カイの声には、妬みと僻みがたっぷりと込められていた。

「ほんとだよな。」
仲間のリトが応じる。リトは、同じ群れの中でも特に口が達者で、カイとはよく意気投合していた。

「この前だってさ、木を揺らして葉を落としてたけど、どうせ『助けてやってる』とか思ってるんだぜ。」
カイの言葉にリトが笑い、他の仲間たちもそれに続いて笑い声をあげる。

「偉そうなんだよな、キリンってさ。」
「自分たちが上だと思ってるんだろ。」

カイはちらりとキリンの方を見た。高い場所で葉を食べるその姿は確かに堂々としていたが、カイにはその態度が鼻についた。高いところにいるというだけで、特別な存在だと言わんばかりに見えたのだ。

そのとき、キリンが首を振り、木を揺らした。数枚の葉が静かに地面に落ちる。カイたちは瞬間的に反応し、その葉に群がった。

「……ほら、結局これだよ。」
カイは拾った葉をかじりながら、不満そうに呟いた。

「僕たちが食べ物を見つけられないのを分かってて、『恩を売ってる』つもりなんだろうな。」
リトが葉を食べながら口にするその言葉には、微塵も感謝の気持ちは感じられなかった。

カイは葉を口に運びながら、胸の奥でかすかな違和感を覚えた。「それでもこの葉がなければ飢え死にしていたかもしれない」と思ったが、その考えを打ち消すようにまた言葉を紡いだ。
「自分の高さを自慢したいだけだよ、あいつらは。」

第二章:キリンと落ちた葉の誤解

朝日が昇る頃、サバンナにはわずかな冷気が漂い、動物たちはその短い安らぎの時間を待ち望んでいた。しかし、カイたちインパラの群れには、冷気すら乾いた感覚を伴っていた。食べ物が尽き、日々の飢えが群れ全体の空気を重くしていた。

その日、カイたちはまた、近くの木陰で休んでいた。そこではキリンが何匹か集まり、高い木の葉を静かに食べていた。彼らは時折首を振り、木を揺らして葉を地面に落としていた。

「見ろよ、まただ。」
リトが呆れたように言う。カイはその言葉に目を向け、キリンが木を揺らすたびに葉が落ちていくのをじっと見た。

「どうせ、ただの自己満足だろ。」
リトが続けると、カイも同意するように頷いた。
「わざとらしいんだよな。『ほら、食べていいぞ』って言ってるみたいでさ。」

カイたちは葉を拾いに行く動物たちを見て小さく笑った。その中には、弱ったガゼルや小さな草食動物たちがいた。彼らはキリンの足元に集まり、落ちた葉を夢中で食べている。

「情けないよな。自分たちで見つける努力もしないで。」
カイが呟くと、リトがすぐに応じた。
「ほんとだよ。キリンも、こんなやつらを助けてやる必要なんてないのに。」

だが、カイの目は少しだけそれとは異なる何かを捉えていた。ガゼルの子どもが嬉しそうに葉を食べ、その母親が安心したように見守っている。その光景に、カイは一瞬言葉を失った。

しかし、その瞬間を打ち消すように、リトが笑い声をあげた。
「見ろよ、キリンの顔!あれ、絶対『僕って偉いでしょ』って顔してるぞ!」
その言葉に、カイはまた笑い声を合わせた。

キリンたちは何も言わず、ただ黙々と木を揺らし続けていた。その行動には一切の押しつけがましさも、自慢げな態度も感じられない。だが、カイたちにとってそれは「上から目線」にしか見えなかった。

「どうせ、僕たちを見下してるだけなんだよ。」
カイは口の中で呟いた。その声は風に消され、誰にも届かなかった。

その日の夕方、カイたちは落ち葉を食べながら、それでもなおキリンの行動を批判していた。
「僕たちを助けるふりをして、自分たちは安全な場所に立ってるだけだ。」
「ほんとにな。自分たちが特別な存在だとでも思ってるんだろ。」

カイはリトの言葉に黙って頷いたが、胸の奥には奇妙な感覚が残った。「本当にそうだろうか?」という問いが一瞬浮かんだが、彼はそれを振り払った。

第三章:無意識の善行と偽善者の烙印

それから数日過ぎたが、サバンナの太陽は変わらず容赦なく照りつけていた。カイの群れは乾ききった川の近くで一時的に立ち止まり、何とか影を探して休んでいたが、そこにも食べ物は見当たらなかった。

「もう、これ以上歩いても無駄だよ。」
群れの一匹が疲れた声で呟いた。その言葉に誰も反応しなかった。全員が疲れ果てていた。

「なあ、本当にキリンのやつらが木を独占してるせいで、僕たちがこんな目に遭ってるんじゃないか?」
リトが苛立った声で言うと、数匹が反射的に頷いた。

「そうだよな。あいつら、高いところで食べたい放題だもんな。」
「僕たちなんて、地面に落ちてくる葉を拾うだけなのに。」

カイはその会話をぼんやりと聞きながら、何も言わなかった。自分も同じように思う部分がありながら、今はただ飢えをしのぐことだけで頭がいっぱいだった。

そのとき、少し離れた場所で声が聞こえた。
「おい、何を騒いでるんだよ。」

群れの後ろにいたのはハイエナだった。何匹かのハイエナが笑いながら近づいてきた。
「相変わらずだな、インパラの連中は。文句を言いながらも、キリンの葉っぱに頼ってるんだろ?」

カイはその言葉に反応せず、ただ目を伏せた。しかし、リトは即座に言い返した。
「頼ってるわけじゃない。ただ、あいつらが勝手に葉を落としてるだけさ。」

ハイエナの一匹がケタケタと笑った。
「そうかい。それなら、その飢えた体をどうにかしてみろよ。」
その言葉にカイは思わず顔を上げた。ハイエナの目は冷たく、どこか挑発的だった。

「……うるさい。」
リトが短く言い返すと、ハイエナたちは笑いながら立ち去った。

「なんなんだよ、あいつら……。」
リトは苛立った声を出したが、カイはその背中を見つめて何も言わなかった。

午後、群れが再び移動を始めたとき、カイは小さな影がふらふらと歩いているのを見つけた。近づいてみると、それはガゼルの子どもだった。痩せ細った体が今にも倒れそうで、彼の心に何かが引っかかった。

「おい、大丈夫か?」

カイは近くにあった小さな葉を拾い、子どもの前に差し出した。それは群れが歩く途中で見つけた、ほんの少しの残り物だった。

ガゼルの子どもは目を輝かせて葉を食べ始めた。その様子を見て、カイはほっとした気持ちになった。
「……まあ、これくらいならいいか。」

何気なくつぶやき、カイは再び群れの後を追い始めた。

その夕方、カイが群れに戻ると、リトが何かを聞きつけたように声を上げた。
「おい、聞いたぞ。お前、ガゼルを助けたらしいな。」

カイは一瞬足を止めた。どうやら、別の動物がその場を見ていたらしい。
「別に、ちょっと葉っぱを渡しただけだよ。」
軽く答えたつもりだったが、その瞬間リトが大笑いを始めた。

「何だよそれ!お前、キリンみたいなことしてるんじゃないか!」
他の仲間たちもその言葉に続き、笑い声が広がった。

「偽善だな、カイ。いい格好しやがって。」
「お前もあいつらの仲間になったのか?」

カイは言葉を失った。自分の何気ない行動が、こんな風に見られるとは思ってもいなかった。

「……別に、そんなつもりじゃなかった。」
そう呟いたが、誰にも聞こえなかった。

その夜、カイは群れの外れに座り込み、遠くの空を見つめていた。星がいくつも輝いていたが、その光はどこか冷たく感じられた。

「僕はただ助けてあげようと思っただけなのに、それが偽善になってしまうのか?」
自問自答しながら、カイの心には答えの出ない問いが浮かんでいた。

そのとき、遠くで揺れる影が目に入った。キリンが木のそばで静かに立っていた。彼らは何も言わず、ただ木の葉を揺らしていた。

カイはその姿を見てふと思った。
「もしかして、あいつらも……こんな風に言われてるのか?」

胸の中に湧き上がる感情は、言葉にはできなかった。ただ、いつもの「妬み」とは少し違う何かだった。

第四章:キリンを追って

翌日、朝のサバンナにはほとんど涼しさが残っていなかった。空は青く澄み、雲ひとつない。太陽が昇るにつれ、風は熱を帯び、地面の乾いた匂いを運んできた。

カイたちは、群れをなして歩き続けていた。草や水を求めて動く日々は、限界に近づいていた。

「もう歩きたくないよ……。」
リトがうんざりした声を出すと、他の仲間も足を止めかけた。

「休むか?」
カイがそう提案したが、リトは首を振った。
「休んでどうする?食べ物が見つからなきゃ、どのみち倒れるだけだ。」

その言葉に、誰も反論しなかった。群れ全体に広がる沈黙が、カイの胸に重くのしかかった。

カイは群れの端を歩きながら、無意識に遠くを見つめていた。そのとき、見覚えのある長い影が視界に入った。

キリンだった。彼らは相変わらず木のそばに立ち、首を伸ばして葉を食べていた。だが、何かが違った。

「また葉っぱを落としてる。」
リトが小声で呟いた。

カイはその様子をじっと見つめた。キリンは木を揺らし、落ちた葉を地面にいる動物たちが拾って食べている。その中には、前日に助けたガゼルの子どもの姿もあった。

「……どうしてだ?」
カイは自分でも気づかぬうちに呟いていた。

そのとき、キリンが動き出した。長い足をゆっくりと動かし、木から離れて歩き始めた。

「どこへ行くんだ?」
カイはその姿を目で追いながら、ふと足を踏み出していた。

キリンは丘の方向へ向かっていた。その姿を見たカイは、何かに突き動かされるように、後を追っていた。

「おい、カイ!どこ行くんだよ!」
リトが声をかけたが、カイは振り返らずに歩き続けた。

「……何をしてるのか、確かめてやる。」
その言葉を心の中で繰り返しながら、カイはキリンの足跡をたどっていった。

キリンの後を追ううちに、カイは次第に群れから遠ざかっていった。周囲には他の動物の姿もなく、静かな風の音だけが耳に届いた。

「なんで僕はこんなことをしてるんだ?」
カイは自分に問いかけたが、答えは出なかった。ただ、キリンがどこへ向かっているのか知りたいという気持ちが強かった。

丘が近づくにつれ、カイの心は徐々に緊張で満たされていった。キリンが止まったのは、丘の頂上だった。

カイは少し遅れて丘にたどり着き、そっとその場に立ち止まった。キリンは何も言わず、ただサバンナを見渡していた。

カイも恐る恐るその視線を追った。丘の上から見える光景は、彼がこれまで目にしたことのない広がりを持っていた。

サバンナ全体が見渡せる場所。乾ききった地面、わずかに残る草、そして散らばるように動く動物たち。

「ここから見ると、あの動物たちがこんな風に見えるんだ……。」
カイは息を呑んだ。いつも近くで見ていた景色とはまるで違い、低い場所にいる動物たちの動きや表情が、驚くほどはっきりと見える。

キリンは首を上げたまま、静かに息を吐いた。その動きには、サバンナ全体を見守るような気配があった。

カイはその背中を見つめながら、小さく呟いた。
「……僕が見ていた世界がこんな風に見えるなんて……。」

第五章:広がる視点と深まる疑念

丘の上から見た景色は、カイの中に静かな感動をもたらした。サバンナ全体が見渡せる場所に立つと、どこまでも続く乾いた地面の先に、点々と動く動物たちの姿があった。そのひとつひとつが、小さくとも確かに存在している。

「ここからだと、どんな動物でも見えるんだな……。」
カイはぼそりと呟いた。

しかし、同時に疑問が湧き上がる。キリンがどうしてこんな場所に立っているのか、その理由がわからなかった。ただ眺めるだけなら、どこにいても同じではないか――そんな思いがカイの胸をかすめた。

そのとき、キリンがふいに振り返った。カイの視線とキリンの目が一瞬交わる。カイは一歩後ずさりしそうになったが、キリンはすぐに再び前を向き、静かに丘を降り始めた。

「どこに行くんだ……?」
カイはキリンの後を追うべきか迷った。しかし、少し離れたところで、別の影がカイの視界に入った。

「おいおい、カイじゃないか。」
耳慣れた声が背後から響いた。振り返ると、ハイエナが数匹、ニヤついた表情でこちらを見ていた。

「キリンの後を追いかけるなんて、珍しいことしてるな。」
リーダー格と思われる一匹が、挑発するように言う。

「別に、そんなことじゃない。」
カイは視線を逸らしながら答えたが、ハイエナはさらに近づいてきた。

「それなら、なんでこんなところにいるんだよ?キリンの真似でもするつもりか?」

他のハイエナたちもクスクスと笑い始める。その笑い声が、カイの胸に刺さるように響いた。

「……ただ、確かめたいだけだ。」
カイは半ば自分に言い聞かせるように呟いた。しかし、その言葉が何を意味するのか、彼自身もわかっていなかった。

カイは群れの仲間たちの声を思い出した。彼らはキリンの行動を「偽善だ」「上から目線だ」と批判していた。自分も同じように思っていたはずだった。

しかし、丘の上からの景色やキリンの静かな行動を見ていると、何かが違うように思えてきた。

「でも……もし、あいつが本当に僕たちのために動いてるとしたら……?」
その考えが頭をよぎったとき、カイはすぐに首を振った。

「そんなわけない。」
自分に言い聞かせるように口にしたその言葉は、どこか弱々しかった。

ハイエナたちはまだ近くで笑い声をあげていたが、カイは彼らに背を向け、丘を降り始めた。キリンが向かった方向へと足を踏み出した。

「もしあいつが何を考えてるのか知ることができたら……。」

カイの中には、これまでとは異なる何かが芽生えつつあった。それは妬みとも怒りとも違う、純粋な好奇心のような感情だった。

第六章:新たな食料源と深まる疑念

丘を降りたカイは、少し離れた場所を歩くキリンの背中をじっと見つめていた。その長い首はゆっくりと動きながら、どこか目的を持って進んでいるようだった。

「どこに行こうとしてるんだ……。」
カイはその疑問を抱きながらも、足を止めることなく後を追った。

キリンがたどり着いたのは、乾ききった地面にぽつんと生えた大きな低木だった。その低木の枝には、細長い葉がしっかりとついており、他の木々のように枯れ落ちてはいなかった。

カイはその光景を見て驚いた。
「まだ、こんなところに葉が残ってるのか……?」

キリンはその低木の周りを歩きながら、枝に首を伸ばして葉を少しずつ揺らした。そして、落ちてきた葉をその場に放置するように見えた。

カイはキリンの行動を不思議そうに見つめながら、少しずつその場所に近づいていった。

その日の夕方、カイは群れに戻り、見たことを仲間たちに話した。しかし、その反応は予想以上に冷たかった。

「なんだよそれ。キリンがまた恩を売るために新しい木を見つけたって?」
リトが鼻で笑った。

「本当に動物たちのためにやってるのかどうかも怪しいよな。」
「どうせ自分が一番いい思いをしたいだけだろ。」

仲間たちは口々にそう言い、カイの話をまともに取り合わなかった。

「いや、あの木は……。」
カイは反論しようとしたが、その言葉はかき消されるように群れの嘲笑に埋もれた。

「偽善者同士、いいコンビじゃないか?」
リトが冷たく言い放つと、カイはぐっと言葉を飲み込んだ。

その夜、カイは群れの端で一人座っていた。頭の中では、キリンの行動と群れの言葉が渦巻いていた。

「確かに、キリンはあの木を見つけた。けど……。」
彼は目を閉じて深く息を吐いた。

キリンがその葉を落とす姿は、ただの自己満足には見えなかった。しかし、仲間たちの批判を聞くと、自分の感じたものが揺らいでしまう。

「もし、あいつが本当にみんなを助けるために動いてるとしたら……。」
その考えは、これまでの自分の妬みや批判を否定することになる。だからこそ、簡単には受け入れられなかった。

翌朝、カイは再びキリンを追った。前日と同じように、キリンは静かに低木に向かい、葉を揺らし始めた。

その場には、いくつかの弱った動物たちが集まり始めていた。ガゼルの親子や小さなウサギ、そして鳥たちまでもが、その落ちた葉を拾いながら飢えをしのいでいた。

カイはそれを遠くから見つめていた。
「……あれが偽善だとしたら、僕たちのしてることはなんなんだ?」

自分たちは何もせず、ただ不満を口にしているだけだという事実が、胸に重くのしかかった。

その日の夕方、カイが再び群れに戻ると、リトが苛立った様子で声を荒げた。
「お前、またキリンのとこに行ってたのか?」

「……そうだよ。」
カイは素直に答えたが、リトの目は鋭く光った。

「なんでそんなことするんだ?僕たちを裏切るつもりか?」

「裏切るって、そんなつもりじゃ……。」
カイが言葉を続けようとすると、他の仲間たちも口々に非難の声を上げ始めた。

「どうせ、キリンの肩を持ちたいだけだろ!」
「お前もあいつみたいに偉そうにしたいのか?」

カイはその場に立ち尽くしながら、群れの冷たい視線を全身に浴びていた。

第七章:疑念と衝突

カイがキリンの後を追って新しい食料源にたどり着いてから数日が経った。その低木から落ちた葉は、確かに他の植物とは違い、生命力を感じさせる味がした。飢えに苦しむ動物たちの間でも、その場所は少しずつ知られるようになり、キリンのもとには弱った動物たちが集まり始めていた。

しかし、カイが群れに戻り、そのことを話すと、すぐに冷たい反応が返ってきた。

「キリンがそんな場所を知ってたって?なんで今まで教えなかったんだよ。」
リトが鋭い口調で言った。

「隠してたに決まってるだろ。自分だけ得をするためにな。」
別の仲間が疑い深い声で言い放った。

「わざと、ギリギリになってから動物たちに教えることで、自分のことを感謝させたいんじゃないのか?」

カイはその言葉を聞いて顔をしかめたが、反論する言葉が出てこなかった。仲間たちの疑念は次第にエスカレートしていった。

「そもそも、あの木が見つかったのが偶然なんて信じられない。」
「僕たちを騙してるんだよ、どうせ。」

カイは仲間たちの言葉に胸が締め付けられるような思いを抱いたが、それ以上言い返すことはできなかった。

その夜、カイは群れの端で一人座り込んでいた。暗い空に輝く星はいつもと変わらないように見えたが、自分の心の中は混乱で満ちていた。

「本当にキリンはそんなことをしてるのか?」
カイは自問自答を繰り返した。

キリンの行動には、偽善的なところがあると思い込んでいた。しかし、低木に集まる動物たちの姿を見たとき、彼らの生気を取り戻したような表情に嘘はなかった。

「でも……どうしてあの場所を知っていたんだ?」
群れの仲間たちの言葉が耳を離れない。その疑問がカイの中で渦を巻いていた。

そのとき、またしてもハイエナたちが現れた。彼らはカイを見つけると、ニヤリと笑いながら近づいてきた。

「キリンの後を追いかけるなんて、本当に変わったな。」
ハイエナのリーダーが冷ややかに言う。

「どうせ、お前も騙されてるんだろ。」
「キリンがそんな木の場所を知ってたなんて、怪しい話だよな。」

カイはその言葉に一瞬反応しそうになったが、何とか耐えた。しかし、ハイエナたちの声は続く。

「お前、いつまで夢見てるんだ?キリンが本当に誰かのために動いてるなんてありえないだろ。」

「……そんなわけない!」
カイは思わず声を荒げた。その声に、自分自身でも驚いていた。

ハイエナたちは一瞬驚いたようだったが、すぐにまた嘲笑を浮かべた。
「まあ、好きにすればいいさ。でもな、どうせ誰も信じちゃいないぞ。」

そう言い残し、ハイエナたちは去っていった。

その夜、カイは再び群れの外れに座り込んでいた。星が静かに輝く中で、彼の心は重い迷いに包まれていた。

「もし、キリンが本当に僕たちを騙しているなら……?」
その考えが頭をよぎるたびに、胸の奥がざわついた。

しかし、もう一つの考えも捨てきれなかった。
「もし、本当に動物たちのために動いているとしたら……。」

キリンの行動を信じるべきか、群れの声に従うべきか。その二つの選択肢の間で、カイの心は揺れ続けていた。

「僕が今できることは、確かめることだけだ。」

そう自分に言い聞かせると、カイはゆっくりと目を閉じた。翌朝、もう一度キリンのもとを訪れようと決意しながら。

第八章:行動の意味を問う

朝日がサバンナを照らし始めた頃、カイは再びキリンのもとへ向かっていた。低木の周りには、すでにいくつかの動物が集まり始めていた。弱ったガゼルの親子や小さなウサギ、鳥たちが静かに葉を拾い食べている。

カイは少し離れた場所に立ち、その光景をじっと見つめていた。

しばらくすると、キリンがカイに気づいた。長い首をゆっくりと動かし、目線を合わせるように振り返る。

「お前も、また来たのか。」
キリンの声は穏やかだった。だが、カイはその言葉にどう答えるべきか迷った。

「……あんたは、何でこんなことをしてるんだ?」
カイの声には迷いが含まれていた。

キリンはしばらく何も言わず、低木の葉を落とす作業を続けていた。そして、ぽつりと答えた。
「見えるからだ。」

「見える?」
カイは首をかしげた。

キリンは低木から目を離し、丘の方を振り返った。
「丘の上から見ていると、どこで誰が苦しんでいるのかがわかる。だから、動けるうちに動く。それだけだ。」

カイはその言葉を聞いて息を呑んだ。自分たちのように背の低い動物には、そんな広い視野は持てない。だが、それがキリンの行動の理由だということに、少しだけ腑に落ちるものを感じた。

「でも、それで感謝されるわけじゃないだろ?むしろ、僕たちみたいに怪しまれることだってある。」
カイは思わずそう口にしていた。

キリンは静かに首を振った。
「感謝されるかどうかは重要じゃない。大切なのは、誰かが生き延びる可能性があるかどうかだ。」

その言葉にカイは黙り込んだ。自分がこれまで抱いていた「偽善だ」「上から目線だ」という思いが、ひどく幼稚なものに思えてきた。

しかし、完全に納得することもできなかった。

「……でも、そんなふうに考えられるのは、あんたが高い場所にいるからだろ?」
カイの声には、まだわずかな疑念が含まれていた。

キリンはその言葉を受け止め、ゆっくりと答えた。
「それもあるかもしれない。けど、高い場所にいるなら、その高さをどう使うかが僕の役目だと思ってる。」

その日の夕方、カイが群れに戻ると、リトがすぐに近寄ってきた。
「お前、またキリンのところに行ってたのか?」

「……ああ。」
カイは素直に答えたが、リトの目には苛立ちが浮かんでいた。

「本当に信じてるのか?あいつが僕たちのために動いてるなんて。」

「わからない。でも、あいつは確かに行動してる。それが事実だ。」
カイの言葉に、リトは一瞬言葉を失ったようだった。

「それでも……僕たちには関係ないだろ。」
リトはそう言い残し、群れの中心に戻っていった。

カイはその背中を見つめながら、心の中で何かが変わり始めているのを感じた。

その夜、カイは空を見上げながら一人考えていた。

「偽善だと思うなら、それでもいい。けど、何もしないよりはマシだ。」
キリンの言葉が頭の中で繰り返されていた。

これまで、自分は周囲の声に流され、ただ批判を口にするだけだった。しかし、キリンはその声を気にせず、動き続けている。

「大事なのは、どう見られるかじゃない。どう動くかなんだ……。」

カイは初めて、自分の中に芽生えたその考えに気づき、少しだけ目を閉じて深呼吸をした。

第九章:行動の意味を守る

朝日がサバンナに昇り始めた頃、カイはまたキリンのもとへ向かっていた。低木の周りには、いつものように弱った動物たちが集まり始めていた。ガゼルの親子や小さなウサギたちが、静かに落ちた葉を拾いながら飢えをしのいでいる。

カイはその光景を見つめながら、胸の中に新たな決意が生まれつつあるのを感じていた。そのとき、低木の周りに不穏な動きが見えた。

遠くから、ハイエナたちが低木を囲むように近づいてきていた。いつもの冷笑的な顔つきではなく、どこか目的を持って動いているようだった。カイは胸がざわつくのを感じた。

「……何をするつもりだ?」

カイは低木の動物たちを見た。誰もハイエナたちに気づいていない。それどころか、彼らは葉を食べることに夢中になっていた。

ハイエナたちのリーダーが、低木のすぐそばで立ち止まり、キリンに向かって声を上げた。
「おい、キリン。ずいぶん偉そうなことをしてるじゃないか。」

キリンは振り返り、冷静にハイエナたちを見下ろした。
「何か用か?」

「用なんて大したものじゃないさ。ただ、見物に来ただけだ。」
リーダーの声には皮肉が込められていた。

「高いところから葉を落として、さも助けてやってるような顔をしてるが、動物たちが本当に感謝してると思うか?」

キリンはその言葉に動じることなく、静かに答えた。
「感謝を求めているわけじゃない。ただ、できることをしているだけだ。」

ハイエナたちは笑い声を上げた。
「できること?それが本当にみんなのためだと思っているのか?お前がやっているのは、ただの偽善だよ。」

カイはそのやり取りを聞いていた。心の中で、かつて自分がキリンに向けていた感情とハイエナたちの言葉が重なるのを感じた。

「……それでも、あいつは動いている。」

カイは深く息を吸い込み、足を前に踏み出した。

「やめろ!」
カイの声が響いた。ハイエナたちが一斉に振り返る。

「お前たちが何を言ったところで、そいつは動いている。それが全てだ。」

リーダーのハイエナがカイに歩み寄る。
「ほう、お前も偽善者の仲間になったつもりか?」

「偽善かどうかなんて関係ない。そいつは少なくとも動いてる。それが何もしないお前たちとは違う。」
カイの声は震えていたが、その目には確かな意志が宿っていた。

ハイエナたちは一瞬黙り込んだが、リーダーは肩をすくめるようにして言った。
「まあいい。好きにやれ。どうせ、この世界は変わりはしないんだから。」

そう言い残し、ハイエナたちは笑い声を上げながら立ち去った。

カイはその場に立ち尽くし、胸の高鳴りを抑えようと深呼吸をした。自分が声を上げたことに驚いていたが、それ以上に、誰かを守れたという感覚が心の中に静かに広がっていた。

キリンがゆっくりと近づいてきた。
「よく動いたな。」

その言葉に、カイはわずかに笑みを浮かべた。
「……怖かったけど、ただ見ているだけじゃ、どうしても嫌だったんだ。」

キリンは静かに頷いた。
「それでいい。動きたくなったなら、それが正しいんだ。」

その日の夕方、カイが群れに戻ると、リトが驚いた顔で近づいてきた。
「お前、ハイエナたちを追い払ったって本当か?」

「追い払ったわけじゃない。ただ、ただ見ているだけじゃ嫌だったんだ。」

カイの言葉に、リトは何も言わずに頷いた。そして、少しだけ視線をそらしながら呟いた。
「……少しだけ見直したよ。」

その言葉に、カイの胸が少し軽くなった。

夜空を見上げながら、カイは自分が変わり始めたことを実感していた。

「どう見られるかじゃなく、どう動くか――。」

キリンの言葉が頭の中で繰り返された。その言葉は、今やカイ自身の考えと重なっていた。

星空を見つめながら、カイは小さく呟いた。
「ありがとう。」

その声は誰に届くわけでもなかったが、サバンナの風に乗って静かに広がっていった。

エピローグ:新しい風の中へ

夜空には満天の星が広がり、サバンナを渡る冷たい風がカイの頬をかすめていた。彼は群れから少し離れた草原に座り込んでいた。

遠くから聞こえてくる仲間たちの声は、いつもと同じだった。

「キリンがやってることなんて偽善だよ。」
「どうせ自分をよく見せたいだけさ。」
「葉を落としてるだけで感謝されるなんて、楽なもんだな。」

けれど、その声が今日はどこか違って聞こえた。内容は変わらないはずなのに、耳障りに感じられた。まるで自分がそこにいない方がいいとささやかれているような、そんな感覚だった。

「変わったのは周りじゃなくて、僕自身なのかもしれない。」

カイは心の中でそう呟き、少しだけ目を閉じた。群れの中にいることが、こんなにも窮屈だと感じたのは初めてだった。

そのとき、小さなウサギが草むらから顔を出した。カイに気づくと、少し躊躇いながら近づいてきた。

「……カイさん、あの……ありがとう。」

カイは驚いてウサギを見つめた。
「ありがとう?僕に?」

ウサギは恥ずかしそうに目を伏せながら、小さな声で答えた。
「この間、ハイエナを追い払ってくれたって聞いたんだ。それで……僕たち、助かったんだ。」

その言葉に、カイの胸がじんと熱くなった。これまで自分がしてきたことは、本当に誰かのためになったのだろうかとずっと疑問に思っていた。でも、この小さな声が、その疑問をほんの少しだけ溶かしてくれた気がした。

「そうか……それなら、よかった。」
カイは静かに答えた。その声には、かすかな微笑みが含まれていた。

翌朝、カイは群れを離れる準備をしていた。遠くではいつもと同じように仲間たちが雑談している声が聞こえたが、それがますます遠くのもののように感じられた。

リトがその様子に気づき、急いで近づいてきた。
「どこに行くんだ?」

カイは振り返らずに答えた。
「ここにいても、僕には何もできない。それだけだ。」

「どうせ、他の場所に行っても同じだぞ。どこに行ったって、何も変わらない。」
リトの声には苛立ちが混じっていた。

カイは一瞬足を止め、空を見上げた。深呼吸をして静かに答えた。
「それでも、僕は自分の目で見てみたい。何が変わるのか、変わらないのか……確かめたいんだ。」

リトは言葉を失い、ただその背中を見送った。

カイは歩き続けた。目的地は決めていなかったが、遠くに見える丘が自然と足を引き寄せていた。その上に立つキリンの姿が、いつものようにサバンナを見守っているのが見えた。

丘に近づくと、風が強く吹き抜けた。草のざわめきが耳を包む中、カイは振り返った。自分がいた群れが遠くに小さく見える。あの場所にいた日々が、ずいぶん前のことのように思えた。

「妬み続けていても、何も変わらない。でも、動けば、きっと何かが変わる。」

そう小さく呟き、再び前を向いた。丘を登るにつれて、風は少しずつ心地よい温かさを含んでいった。

頂上にたどり着くと、キリンがゆっくりとカイの方を振り向いた。キリンの穏やかな目が、まるで「よく来た」と言っているように感じられた。