つれづれ
もう○○が終わる、もう○○になった、という書き出しの下書きを大量に抱えて、もう9月も終わりそうな頃合いになってしまった。
最低でも月に一度はアップしようと思っていたが、体力精神力がもたずに何もできなかった。この半年は常に息切れしていて、とにかくしんどかった。
その間に、夏が来て、夏が終わり、彼岸も過ぎたわけだが、この地の夏というものをうまく感じることができないまま終わってしまった。気づかずに快速に乗ってしまっていつの間にか通り過ぎていた無人駅、のような夏だった。世界的ななにかも、驚くべき事件も、いろんな数字もグラフも、人との会話も、この身に起きた事すらも、何もかもが通り抜けていった。
書かないでいた間に一体何をしていただろうかと思い出して再構築しようとしてみるが、書けそうなことは何も浮かばない。砂っぽい。仕事も、考えることも、書くものも、興味も、ぱらぱらとしていて、滑り落ちていき、まとまりがない。ここ数か月の私は、目の粗いふるい、もしくはザル、いやただの枠だった。物事を素通りさせただけで何かをした気になっていて、その実何もしていない。そんなような感覚がずっと続いている。
簡単に言うと「忙しかった」。異動先では人が少なくて、それぞれが広範な領域をワンオペ的な形で進めている。守備範囲を見定めて、やることになっていることを把握してなぞるだけでも、時間とエネルギーがみるみる減っていく。その上新たな人間関係と不文律、新たな仕事と課題、積み上がった過去のつけ。なんだか疲れてしまった。
毎度毎度、しんどすぎてもう異動はたくさん、と思う。深く潜っているところを突然引き揚げられて別の海に放り投げられるようなもので、この苦しさを軽減しようと思ったら、常に浅いところにいるか、予め段階的に新しい水に慣れておくかなのだろうが、どちらもできそうにない。いつまでこれに耐えられるかも怪しいのだが、抜け出すタイミングなんてないように設計されている。どうしたものだろうか。
束の間の休息に、何度か星を見た。空を見た。海を見た。木を見た。息を吸って吐いた。今年の前半はそれだけで良しとするべきなのかもしれない。今日目が覚めて起き上がれただけで、良しとするべきなのかもしれない。
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