片付け
衣替えをし、本部屋に積んである本をいい加減片付けることにし、残す本を選別していたら今日は終わった。
引っ越しのたびにけっこう減らしているはずなのに、買うのも読むのも昔より減っているのに、何故かいつも本棚から本が溢れている謎。
しかも、あれがあったはずだなぁと、あとから思う本は軒並み無いのだ。過去の自分の取捨選択のセンスはどうしてこうイマイチなんだろう。
きっと今回の選別についても、どうせ未来にはがっかりする結果になっているんだろうなと、なんとなく思う。この際全部捨ててしまおうかという気になる。まぁ、そんなことは結局できないのだが。
毎回片付けのたびに何かを発見する。
今回は教育実習の日誌が出てきた。まだ持っていた。
中を見ていくと、全く知らない誰かの記録を読んでいるような感じがしてなんだか不思議な感覚に陥る。こんなものを書いていた記憶がない。とっておいていた記憶もない。でも確かに私のものだった。
私が教育実習に行ったのは学部4年の5月中旬で、ちょうど今時期みたいにかっと暑くなる日がある頃だった。地元は盆地なので、朝方霧が出ていると、あぁ今日は晴れて暑くなる日だ、とすぐわかる。そんな頃。
地元に戻って母校で実習したので、通学路をなぞって電車とバスを乗り継いで通勤した。先生なんて柄に合わないとわかっていながら、ここまで履修してしまったし、進路の可能性の一つとしてとっておこうなんて、虫のよい考えで実習に参加した。あとから、そんな動機で行くならほんとやめておけばよかったと思った。
教えることと発問の難しさに心が折れそうになり、全く自信が持てなくて指導案に苦労したこと。
いつも自分のことばかり気にしてしまってこころが生徒の方を向けなくて、結局少しも打ち解けられなかったこと。
未熟な自分が教えることのこわさと向き合い、引き受け、もがき悩みながらも、それでも日々を続けるのだ、という覚悟をついぞ持てなかったこと。
結果、自分がいかに教師に向かないかと自覚したこと。
そんな記憶が蘇った。
教育実習に行く学生、受け入れてくれる学校、先生、生徒。
いま大変ななかだけれども、誰かの人生の方向を決定づけるものであることは確かだ。
こんな時だから確実に採用試験受ける人だけにしてほしいと、もしかしたら現場では思うかもしれないけど、先生になってもならなくてもほんとはいいんだと思う。自分に向き合って、生徒に向き合えるか胸に手を当てて、何か、つかめれば。そういう機会になれば。先生にならなかった私が言うのも何だけど。
あの頃に散々聴いていた宇多田ヒカルのアルバムは、苦しくなるので聴かなくなったのだけれど、久しぶりに聴いてみようかと思った。
明日は音楽の整理だな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?