モノローグ台本『それはまるで、蛾の標本』
『それはまるで、蛾の標本』
作:渋谷悠 原案:紗南
(経理スタッフ、電卓を叩いている)
「これ、経費で落ちないんで再提出してください」
って言ったんですね上司に、スマートに無駄なく電卓を叩きながら。
すると上司が私を見てこう言ったんです。
「鈴木さんって、スマートで無駄がないよね」
不思議なものです。スマートになりたくて無駄を省く努力を重ねてきたのに、いざ言われるようになると…あれ?
「鈴木先輩って規則正しいですよね」「君は定時に帰る人のイメージ」「鈴木さんイコール、ブレがない」…あれあれ?
彼らの観察は、経理としての私の仕事ぶりと同等に的確と言わざるを得ません。規則正しい?ブレがない?思えば高校の頃から吹奏楽部で打楽器を任され、リズムがブレないように叩いてきました。今は、数字がブレないように電卓を叩いています。このままでは、人生がブレないように根性を叩いてしまうでしょう。
いつからこうなってしまったのか。極めつけは日記です。
私は15年間、毎日、日記をつけてきました。1日も欠かさずです。情けないったらありゃしない。友人とハメを外して書けなかったとか、男に熱を上げて日記どころじゃなかったとか、変化は、波は、軌道修正に最低半日かかるイベントは、お前の人生に無いのか?
このままではいかん!
私は日記を全て処分することにしました。
でも、15年間続けた証は手元にあってもいい。そこで私は、1ページだけ残すことにしました。365日かける15年。合計5475ページの中から、1ページ選ぶ。これはもうオーディションです。参考までに最近流行りのオーディション番組を見ました。パクります。
3年前の9月7日。「人生の悔しさは後で花を咲かせるため。そう信じて今の自分を大切にする」
(審査員のように)君は、もう帰っていいよ。
去年の1月19日。「ずっと使ってきたドライヤーが壊れてしまった。何で今なんだろう。凄く苦しい。もう何もできない」
(審査員のように)たかがドライヤーでここまで凹める感受性。悪くない。
7年前の8月13日。「ダヴィンチの絵にパワーをもらった。この異常な世界で戦えるように元気になろう。元気にならねば。元気になってみせる」
(審査員のように)語尾を変えながらの繰り返しは呪文のようで素敵だね。
この調子では結構な数が残ってしまいました。新たな策を練る私。そう、納得のいくオーディション番組は審査基準が厳しく、ハッキリしていました。パクります。
厳しい基準、それは:私を感動させてくれるか?です。
その時の状況を思い出させてくれるページはいくつもありました。しかし感動となると、合格するページが見つかりません。諦めかけた頃、とあるページが目に飛び込んできます。それは私が日記を書き始めて間もない頃の1ページです。
「人が傷つくと分かってるくせに大キライ。みんな死んでしまえ」
と書いてありました。この「みんな死んでしまえ」は筆圧も強く、大きな文字で、3行びっしり占領しています。文字がこうぎゅう詰めでくっついている。どうしてか、乾いた血のような赤茶色い染みまであります。
そこには、無防備な私がいました。
真っ直ぐに生きて、荒ぶって、それをページにぶつけている私がいました。
みんな死んでしまえと思うくらい、誰かに心を開いていました。
私の貯金で買える一番高い額縁に入れて守ってあげたい。
いつかの私が、感情の羽を広げている。
その模様は禍々しいかも知れない…でも。
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劇作家・映画監督:渋谷悠とは?
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