モノローグ台本『白紙』
『白紙』本文
作:渋谷悠
(男、喫茶店かバーのような場所にいる。)
あるはずのものがないというのは、人をソワソワさせると思わないか?
ソワソワなんて擬態語じゃ伝わらないな…。
例えばあそこの時計。もし針がなかったら、違和感を覚えるはずだ。
あるはずのものがない。
頭が勝手に針とその位置を想像してしまうかも知れない。…ピンとこないか?
じゃあ俺の顔で考えてくれ。そうだな、この鼻がなかったとしたら、仮にここがつるんとしていたら、お前は「あるはずのもの」を想像するだろう?
それどころか、あまりの違和感に耐えきれず、俺の顔を見られないかも知れない。何かの欠如というのは、時として直視できないことがあるからな。
すまん。こんなこと話したってどうにもならないんだが、何か変えられるわけじゃないんだが、このままずっと話さないってわけにもいかないんだよ。
息子があんなことになってから、昨日でちょうど1年経ったことになる。
あんなことをしておいて、俺に宛てた遺書は無かったんだ。
母親にはあったし、あいつが仲良くしていたらしい女にもあったし、それどころか高校の恩師にもあったんだよ。
あんまりじゃないか…なあ?…あんまりだよ。
だから、無いわけがないって固まるんだ、思考が。
だから、あいつが見つかった時に、警察があいつの体を下ろしてる時に、ポケットかどこかから落ちたんじゃないか。まだ、あの裏山の木の根元らへんに転がってるんじゃないか。探しに行くんだよ。
これがさ、まあ1回や2回ならやる奴もいると思うんだ。
でもそれじゃ済まないんだよ。もう、あいつが見つかったところからだいぶ離れた木も調べ尽くしちまった。
絵が描けるよ、どこにどんな木があるか。根元がどうなってるか。
結構ゴミが捨ててあってな、あいつ、こんなところで死んだのかぁって、行く度に持ち帰るようになって、今綺麗になったよ。まあ、せめてな。
あいつの着てた服は処分してもらったから、その中にあったんじゃないかね。
無いわけがない。無いわけがないって自分に言い聞かせて、その言葉を、あれからずっと杖にしてきたんだよ。頼りない杖だ…。
昨日、一周忌が終わって、帰ってきて、喪服のまま、書こうとしたんだ。
その、あったはずの遺書を。俺宛の遺書を。
最初は、何かの裏紙を手に取ったんだが、思い直してプリンターの中からちゃんとした紙を持ってきた。
普通のペンじゃないなってこれも思い直して筆ペンに変えた。
真っ白な紙を前に、息子の気持ちになろうとした。
(間。)
なんにも出てこないんだ。
俺が言ったことしか覚えてないんだ。
「就職すればどうにかなるから」とか「自立が一番大事なんだ」とか。
どれもこれも、親じゃなくたって言えることばっかりなんだ…。
白紙だ。あいつが何を言ったか全く思い出せなかった。
息子の気持ちが全く分からなかった。
紙切れ1枚、埋めることすら出来なかった。
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