僕も小沢健二も東京にいる
1998年生まれの僕が小沢健二を知ったのは高校生の頃だった。
文化の変遷やサブカルチャーに関心のあった僕は戦後以降の文化的ムーブメントをいろいろ調べ、曲を聴いたり小説を読んだり映画を見たりしていた。
ビートニク、太陽族、ヌーヴェルヴァーグ、新宿騒乱、ウッドストック、スターウォーズ、YMO、竹の子族、ブレードランナー、中森明菜、……etc
極私的でめんどくさいサブカルチャー感を携えながら“渋谷系”という言葉を知った僕は“今夜はブギー・バック”だけは知ってるぞ、とか思いながらどうやら名盤らしいと耳にしたアルバム“LIFE”を手に取った。
その幸福さに衝撃を受けた。
この1枚のアルバムの中に、その内の1曲1曲の中に、ありったけの幸福が詰め込まれている!一体どうゆうこと? というのが最初の感想だった。
中学の理科の実験で、スポイドを押して水を出せばフラスコ内のアンモニアが水に一気に溶けてフラスコ内の気圧が下がり、フェノールフタレイン溶水が赤い噴水となって吹き上がる実験があった。
(“フェノールフタレイン”というカタカナの響きが好きでよく覚えている)
“LIFE”はまるでその実験のように、この世界の幸福をたくさんこのアルバムに詰め込んだ結果幸福の気圧さが生じ、僕らの体の中の幸福を希求する気持ちが赤い噴水となって立ち上がるような効果を感じた。
自分でもとてもわかりにくい説明だと思うし、アンモニア=幸福なんて決して適切な例えではないが、自分の中に実際に浮かんだイメージがフラスコの中の赤い噴水なのだから仕方がない。
とにかくありえないほどの幸福が詰め込まれたアルバムだった。
“刹那”というアルバムも胸を打つ曲ばかりで、つい聞き入って心が震えて走り出したくなるような曲ばかりだった。
僕は“LIFE”と“刹那”という2枚のアルバムをひたすらひたすら聴いた。他の曲は今後知ればいいや、と思ったしこの2枚はいくら聴いても飽きなかったから。
だが何度も何度も聞いているうちにあれ? と思った。
『強い気持ち・強い愛』の一節
長い階段をのぼり 生きる日々が続く
を歌い上げる小沢健二の声が、悲痛な、どこか暗いところから救いを求めるような声に聞こえた。ああ、どうして僕はこれまで気づかなかったのだろう!
『愛し愛されて生きるのさ』だって『ラブリー』だってなんだって、幸福だけを切り取っただけのような歌詞じゃないじゃないか、雨が降り冷たい風が吹き毎日の生活は大変で本当に苦しい時もあるけど、それでも上を向いて幸せになろうという気持ちを肯定する、悲しみや苦しみも無視せず生きてゆくためのポップ・ミュージックじゃないか!
と初めて小沢健二が愛される理由が少しわかった気がした。賢い人達はすぐに歌詞から読み取れたのだろう、今まで気づかなかったことが恥ずかしくなった。
アルバム名だって“LIFE” ”刹那”
幸せな瞬間は一瞬かも知れないけど、
その一瞬の未来のための生活の営み全てを歌っているじゃないか!
幾つの悲しみも残らず捧げあう
とあれだけ力を込めて歌い上げる小沢健二は確実に高校生の僕にとって味方で先輩で先生で師匠で教祖だった。
『帝国の逆襲』でフォースを会得しようとするルーク・スカイウォーカーが僕ならヨーダが小沢健二、みたいな。
自分をルーク・スカイウォーカーに例えるなんて。全く僕は例えが下手だな。
小沢健二は90年代にいる人で、東京やNYにいる人だった。なのに2010年代の神戸の高校生のヨーダになってくれた。確実に違うユニバースの人なのに、彼の楽曲の数々が次元の特異点としてマルチバース(小沢健二曰くPluriverse)を開いてくれてると感じていた。相変わらずわかりにくい例えだが。笑
2017年2月20日、第一希望の大学に合格した。僕の上京が決まった。
その日の夜、小沢健二はリアルタイムチャットイベントで19年ぶりのシングル『流動体について』を発売することを宣言した。
翌21日、朝日新聞の朝刊に掲載した〈愉しい広告〉にて小沢健二は
「言葉は都市を変えてゆく」と題したモノローグ連作を発表した。
22日には『流動体について』が発売され、24日にはMステ出演。
東京で新しい生活が始まる!小沢健二に会えるかも知れない!と思った。
だがもちろんそう簡単に小沢健二に会えるわけはなかったし、
東京に来たからといって毎日の生活がガラッと変わることはなかった。
大学に入り更に自分の勉強したいことを勉強できるようになり、学校帰りに行けるような場所に映画館が複数あり、図書館にはたくさんの本があった。
僕は子供みたいに映画を見漁ったりした。しかし周りは早く大人になりたい人が多かったようだ。もともと知っている人で同じ環境に一緒に来た人はいなかったが、大学に入ったからといって友人ができるわけでもなかった。
しかし小沢健二は純粋でありたいとする子供すぎる僕も肯定してくれた。
『フクロウの声が聞こえる』は僕のアンセムになった。
『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』では小沢健二の存在を知っている前提で、小沢健二も彼が日本に不在の間の年月も無視せずに歌うようになった。
小沢健二の住む宇宙と僕が住む宇宙が重なってきている!と僕は興奮した。
今までは「僕」と「君」の楽曲世界を作り上げて歌い上げるヨーダだった小沢健二が今では一人の人間として親として岡崎京子の友人として正直な気持ちに彼なりの魔法をかけて僕たちに手紙を送るように歌うようになった。
そして今回のアルバムである。『So kakkoii 宇宙』である。
各曲について語ろうとするともう無限に語れてしまう。だが小沢健二楽曲解説ブログではなくこれはあくまでも日記でなのでアルバム全体のことだけを書くと、
小沢健二も僕も同じ『So kakkoii 宇宙』にいる!
ということだよ!もちろんこれは同じUniverseではなくPluriverseということにはなるが、僕がいま東京にいて毎日長い階段をのぼり生きる日々を送っているとき、小沢健二も東京も街並みを眺めながら長い階段をのぼり生きている。トンネルの先にはもう小沢健二がいるかも知れない。そして同じ宇宙にいるだけでなく、新しい世界を一緒につくっていこう!僕たちの営みがつくり上げていくんだよこれからの『So kakkoii 宇宙』を!とまるで僕の肩に手を回してくれるようなアルバム……
僕が上京するタイミングと小沢健二が東京に帰還するタイミングが重なったことが嬉しいため勝手に『So kakkoii 宇宙』=『東京』と言い換えてしまうが、(もちろん誰もが勝手に自由に言い換えて解釈していいものだと思う)
僕も小沢健二も東京にいるのである。
『So kakkoii 宇宙』を聴くたびそのことを再確認する幸福な日々である。
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