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見性成仏という信仰

M老師様

 ふと、敬宗老師の資料を老師にお渡ししていなかったのではないか、と思い至り、お送りしようと思ったのですが、昔の資料を見たら、既にお送りしてありましたね。
平成5年の発心寺寺報第4号の青野敬宗老師追悼記事と、その記事作成の基礎資料として作成した語録です。
この時の発心寺寺報は、私が編集したものです。
追悼記事作成のため、今治、浜松にも取材に行きました。
語録の正編は、Dさんが録音テープをお貸しくださいました。続編は、Hさんのテープ起こし原稿を今治の奥様経由で、ご提供いただき、私が編集しました。
寺報の記事は、堂頭老師の点検済みです。

この語録で最も重要だと思っているのは、続編の次の部分です。

浜松が亡くなる時分に、
「敬宗君ね、わしもやってしもうて何にも不自由はなかったけれど、ある時、ひょっと気になり出したものが出た。だから敬宗君も必ず、わしらの所から去って帰ったら、今はないけれど、いつかそれで自問自答する時が来るから、その時には、それを逃げずに、四つに組んでやれよ」
と、こう言われた。
なーに、もうこれ程どうしたってきれいになっているのに、何を、と言っていたのが、どっこいですね。禅だの宗教だのいう一つのことを立てて、それの上におってしか話をやろうとしないのですね。ところが、そういうとこへ、ひょっと気がつきまして、あっここだなっと。平生の事態ということを-。
(別の機会の法話)
老師が最後の亡くなられる一週間前に行った時に、小さい声で、
「敬宗君、必ずや、今はもう、うれしい盛りだから、山の絶頂だから何にもないけれど、おれが死に、だれーもおらんようになった時に、ひょっと自分の欠陥に気付くから、その時は逃れずに、それと四つに組んで解決をせよ」
と言って、もう最後の別れが、それだったんです。
そうすると、帰って、去年一昨年ですね。
「何故、見性せいだの、何故、悟れだのいうことばかりを、わしは言うんだろう」
と、ひょっと気がついたんですね。

青野敬宗老師語録・続編

 Dさんの録音テープには、この後の話があったのですが、全く理解できなかったので、文字起こしできなかったのです。

敬宗老師は、自分の欠点に気が付いて、釈尊と同じ行をされたのです。

それを「むそくじょう」と言われました。「無息定」かな、と思いましたが、確かめられませんでした。ちょうど入院されている時で、医療のバックアップを受けられるからということで、かなり危険なことを思い切ってされたようでした。

今、読み直してみると、正編の次の箇所が、その説明ですね。

 だから、本当にこのことが分かると、お釈迦さんのおっしゃったように、生きながら「定」に入る事はへっちゃら。もうこのまんまで死ねます。ここが(パンッ)ストップするんだから。この肺活の活動が、もっともしなくなると、静脈と動脈との流れがトロくなって、そしてものを一つに、差別と平等のコンピューターを一つにして何であるということが言えない。皆、単に切れる。単に切れたら、ちょうどノイローゼになったように、目だけは非常に輝いているけれど、ものを一つにする意識の活動がない。
本当に禅定に入ってしまうと、ここはストップしてしまうから、そうすると、いつでも腹式だから、もうお尻から空気がぷうーと出る。そして、もう生もなければ死もない。怖いということも喜びもなんにもない。空気と同じね。そういうふうな状態。

青野敬宗老師語録

 当時、先輩方に語録を読んでもらいましたが、Eさんが、この「単に切る」は「単純に生きる」なのではないか、と指摘されました。しかし、録音を慎重に聞き直しても、文脈からも、文意からも、これは「単に切る」だと確信しました。

 この時、敬宗老師は、大悟されたのではないか、と思っていました。

少林窟では、一隻眼だの大悟だのと、悟りの段階をうるさく言っていて、そういうものがあるものだと、信じていたからです。

しかし、見性成仏というのは、宋代中国禅の創作ではないか、と思うようになりました。

「悟り」というのは、「禅宗」の「信仰」なのだと思うのです。

伝燈歴代仏祖などは、信仰以外のなにものでもないです。それが、曹洞宗が正法を伝燈していることを担保していると宗門が信じているのですから、驚きです。

「禅宗は、自身につながる歴代仏祖を明示することによって、自らの教えが釈尊から正しく伝わってきた真実の仏法であることを証明しているのです。」

(現職研修会テキスト)

これは、「読経」の功徳の根拠が、法華経にそう書いてあるから、ということと同じです。

 禅門の「見性成仏」の「信仰」は、浄土門の「極楽往生」の「信仰」と軌を一にしています。

最近、近隣寺院の若手僧侶で変わったことを言われる人がいたので、少し話を聞いてみたら、Tの信者でした。Tの弟子のような人の文章を見せてもらいましたが、こんな一節がありました。

「ブッダ・サンガーに弟子入りする条件は今までの事を反省して頭の廻りに後光が出ることが必要なのです。」

驚きました。おそらく、T教団の指導者は後光が見えるのでしょう。誠に、信仰とはこのようなものです。

 しかし、大切なのは、敬宗老師の言われる次のことです。

 「これが叩かれ、つめって痛いと知る奴がおるから、邪魔になる。知ることではない。このことが、このことである」

青野敬宗老師語録

 思い込みの激しい人は、自分が「悟った」と思い込んでしまうのです。発心寺関連、浜松関連には、そういう人が沢山います。
そして、自信満々で人に誇示してしまうので、そう言うんだから、そうなんだろうと、人は勝手に思い込んでしまいます。

しかし、大切なのは、「知ることではない。このことが、このことである」ということです。
それは、人に誇示するような性質のものではありません。
そもそも「知る奴」がいなかったら、「このこと」に気づきもしないのです。
追悼記事に掲載した雪渓老師の証言にこのようにあります。

あの時に尋ねられなかったならぱ、どうだったろうかなと、今、思い出して話している訳です。

「このこと」に意識を向ける・向けさせられることによって、初めて「このことが、このことである」と「知る」ことがある、ということです。

 3年ほど前に、ある人に坐禅の説明をしていた時、ふと四半世紀前のことを思い出しました。実家に転がり込んで7週間の独接心をしたのですが、その終わり頃、右の股関節が亜脱臼か何かのようになり、普通に歩けなくなり、歩くと脂汗が出るような状態だったのです。しかし、何も心に障るものはなく、それだけのことだったのです。
犬みたいだな、と思いました。
そこに「苦」は存在していなかったのです。
その時のことを思い返した時、趙州狗子の話が腑に落ちたのです。
趙州の答話ではなく、この奇妙な質問をした僧のことが深く理解できたのです。彼も犬になったことがあり、そこには、「仏性」などというものは存在していないことを確かめていたのだと思うのです。

誠に、「更に参ぜよ三十年」とは本当だな、と思いました。

因みに、少林窟では、今、『飯田欓隠語録全集』の最後の第六巻・第七巻を編集しています。『槐安国語提唱録』です。和綴じの初版本の写真版なのですが、どういうわけか『槐安国語』自体を入力して添付することにしたらしく、それの校正を少し手伝いました。私は『槐安国語』も『槐安国語提唱録』も読んだことがないのですが、「更参三十年」が再三出て来て、白隠禅師も痛感していたんだなと感心しました。

「知ることではない。このことが、このことである」が意味しているのは、「苦」の根源を切ることです。

「苦」は、脳内に構築された仮想世界の混乱なのです。
その構造に気づき、見極めるだけのことです。
「照見五蘊皆空。度一切苦厄。」です。

 私は、発心寺安居中に、雪渓老師のこんな口宣を聞いたことがあります。

 『物がある』『人は死ぬ』というのは、大変な間違いです。
『物があるのではない』『人は死ぬのではない』というのが、仏教の根本の根本です。
それを実証するのが修行です。

 この「仏教の根本の根本」が、「空」なのでしょう。

 昔、生意気にも、竹林史博老師にこんなことを手紙で書いたことがあります。

「死んだらどうなるのか」
この問いに、輪廻転生のお話で応えたのでは、禅になりません。
「死んだらどうなるのか」と本当に対峙して、本当に自己の死に参じた時、今ここに在ることが明らかになるのです。

竹林老師にはスルーされてしまいましたが、今でもこのように思っています。

仏教の中の「信仰」を全て剝ぎ取って、釈尊に返ることが最も肝要なことだと思います。
「照見五蘊皆空。度一切苦厄。」で全て尽きていると思うのです。

 追悼記事中の雪渓老師の証言には、このような一節もあります。

自分の考えの中ですから、「ある」と言おうと「ない」と言おうと同じことなんです。言葉というのはそれほど微妙に人の考えを左右するものなんです。

 人間の脳の認知構造と、言語の働きが重要なポイントだと思います。

   2023年8月23日

                            幽雪 九拝
                         yusetsu@gmail.com

 

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