他人と比べようのない財をたくさん持つと幸せに近づくのかも
こんにちは!
子どもにお金にまつわる話をしている、ゆうとすです。
本日は「他人と比べようのない財をたくさん持つと幸せに近づくのかも」という、ふんわりしたテーマでお話ししたいと思います。
アメリカのコーネル大学のロバート・フランク教授は、他人との比較によって満足が得られる財を「地位材」、他人との比較とは関係なく満足が得られる満足が偉っれる財を「非地位材」と定義しています。
なんだか、難しいのですが、
「地位材」とは、年収、家、車、時計、バックなど
「非地位材」とは、健康、自由、愛情、経験など
まだなんともです。
わかりやすいのは、「車」かもです。
「高級車」は地位材に入るのですが、車で出かけた旅行の思い出は「非地位材」になり得ます。
非地位材である旅行の思い出は、高級車であろうが、レンタカーであろうが作ることができます。
たとえば、私は新婚旅行で北海道に行ったのですが、レンタカーで釧路、札幌、小樽とブイブイ北海道を縦断した思い出は「かけがえのない経験」になりました。
「モノ」の保有よりも「コト」の体験で幸せを感じたのです。
どうして地位材はドツボにハマるのか?
たとえば、港区のタワマンの20階でドン・ペリニヨンを片手にうぇいうぇいしている年商10億円の日本人社長がいたとしても、
上を見れば、ドバイのタワマンの50階でドン・ペリニヨンのヴィンテージを片手に隣にはクレオパトラばりの美女がいる年商10兆円の石油王には
超嫉妬するかもしれません。
幸せだったと思えた日本人社長も、なんだか不幸な感じになってくるかもしれません。
このように、地位材には優劣が生まれてしまって、
あくなき欲望の渦に巻き込まれてしまいます。
ここまでまとめると、
「相対的な幸せ」が地位材で、「絶対的な幸せ」が非地位材と言えるのかなと。
フェラーリは地位材?
たとえば、フェラーリのモデルによっては世界で3台しか生産されていないようなものがあって、三度の飯よりフェラーリが大好きな人には、
もしかしたらフェラーリは「非地位材」になり得るのかもしれません。
そのひとにとってはフェラーリは唯一絶対的なものだからです。
心の安定につながる幸せは非地位材を増やすこと?
地位材である家を手に入れることで、幸せを感じる人もいるので、全ての地位材を否定することは決してしないのですが、
地位材よりも、非地位材を増やす方が、効率的にしあわせになれるのではと思っています。
たとえば、
からだとこころの「健康」って子どもの頃や若い頃には、意識しないことかもしれないのですが、
お金をたくさん持っていても、精神が病んでいては楽しさは半減するし、大病していたら旅行にもいくことができないかもしれません。
はい、いかがでしたか?
本日は、「他人と比べようのない財をたくさん持つと幸せに近づくのかも」という仮説でした。
人生にワクワクを。
それではまた!