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10年前の今日の出来事
みなさんこんばんは!!
本日2/22は坂元にとって、とても重要な人生が変わった日の1つ。
10年前の2/22は中学三年生でニュージーランドのクライストチャーチに語学研修としてきていた。
カプランという語学学校にお昼にいて、その時に大きな揺れがきて、周りのみんなが倒れていって、天井からいろんなものが落ちてきて、地面がないって思うくらいどこにたっても立てていられないほどの大きな揺れだったことを覚えている。
これが坂元がその時にいた学校。
自分たちがいた学校だけ、崩壊せずに建っていてくれたおかげで、今も生きている。
この時の話をあまりしたことがないけど、
まず建物が崩壊しなかったことがとても幸運だった。
地震がおきて、ちょっとしてからこの建物は壊れるんじゃないかって思って外に出ようとしたんだけど、
外からニュージーランドの方が入ってきて、絶対に今外に出てはいけないって言ってくれて、カプランの中にいたら、その何秒か後に
目の前を砂ぼこりと煙みたいなのでいっぱいになって、周りの建物が崩壊していることがわかって、仮にあの時に外に出ていたら、自分は巻き込まれて死んでいたかもしれないと思うと。あの時の女性に本当に感謝したい。
その日は液状化して水浸しの街を裸足で歩いて大きな学校へと避難した。
その間の道は本当に残酷なもので、多くの怪我をしている人がいっぱいいたし、建物も無残な姿になっていた。
余震が続いていて、とても不安の中、食パンの4分の1と少しのクッキー
が自分たちのご飯。それから1日が経って、赤十字の人たちに助けてもらって配給してもらい。サンドウィッチなど結構いいものをいただいた。
クライストチャーチの真ん中にあり、シンボルである大聖堂も
半壊していて、本当に悔しかった。
それから軍の方達に助けてもらい、軍の飛行機に乗せてもらって、
オークランド、ウェリントンへいって、タイを経由して、日本へ帰った。
そのタイからの飛行機の隣には50代くらいの日本人の女性が乗っていて、
自分がニュージーランドでの経験を親身になって涙を流しながら聞いてくださった。
そして、日本へ帰ってきてから坂元は多くのことを知った。
・同じ場所にいた日本人の方、28名が亡くなったこと
・ニュージーランドの政府の方、住んでいる方たちが自分たちの国の人よりも、海外からきたかたたちを優先して、助けてくださったこと。
・多くの日本の方たちが心配してくださったこと。
ニュージーランドの生活は本当に中学三年生だった自分にとって多くの価値観をくださった。多くの人種の方がいて、とても優しい人が多かった。
多くの自然がそこにはあり、伝統や文化もとても素敵だった。
ホストファミリーにはなんの言葉もかけることなく、帰国してしまって絶対に来年はニュージーランドへ行きたい。
いつかはクライストチャーチにも住んで生活がしてみたいなって本気で思っている。
坂元は日本に帰国し、事実を知ってから、
亡くなった28人の方はそう思って欲しいかどうかはわからないけれど、
28人の方の分も自分は一生懸命に生きていこうってそう決めた。
だから学校もサッカーも頑張って、夢へと突き進むことができた。
坂元も人間だから、楽な方へいこうって思ったり、どうしても自分の生きる意味や目的を間違った方向に考えてしまったりするけど、
ニュージーランドでの経験を思い出し、一生懸命に生きるという大切さを改て認識をして、頑張ることができている。
2/22というこの日は自分にとってとても大切な日。
何があっても忘れられない日。
そして坂元がスタートを切ろうと決心した日。
坂元はニュージーランドの方の優しい心。
そして強い絆。助け合うことの大切さを学びました。
そして、そのような素敵な人間になりたいとずっと思って
生きていっています。
まだまだこれからだ。よし頑張ります。
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。