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私に自信を植え付けてくれた、私にとってのミス・エルザとミス・ゾフィー。

20世紀、世界に最も影響を与えた経営思想家、P.F.ドラッカー。私は彼の思想の影響を受けた。卓越した慧眼もさることながら、産業や事業は、人を通して行うものであり、その、人への愛が感じられるマネジメント論。そんなドラッカーの教えは、常に私の中に生きている。

そのドラッカーが、幼少期に影響を受けた2人の教師、ミス・エルザとミス・ゾフィーのことを触れているくだりを読むと、目頭が熱くなる。私にも特筆したい子どもの頃の恩師がいるからだ。3人を挙げたい。

1.府中スイミングクラブ(競泳)の創始者でありコーチの桒田先生。
2.父の親友であり、私塾を開かれ、私の英語の先生でもあった宇野さん。

父石町(ちいしちょう)の田舎から、広島全域や全国へ視野を広げたのは、私にとっては、間違いなく競泳の経験である。全国中学生大会(全中)、ジュニアオリンピック(JO)など、競泳はしばしば、私を試合や合宿などで、普段行かない異世界へ連れていってくれた。桒田先生が、多くの生徒の中から、私の競泳の資質を見出し、鍛えてくださったから、今の私がある。よって、高校は、文武両道校を探した。進学校であり、かつ競泳の強豪校はどこか?その結果、京都洛南高校へ進むこととなった。

一方で勉学の方は、当時は、都市部と田舎では、情報格差は当たり前。教育格差も激しかった。周りの生徒のレベル感が違うのだ。父石町の私が、難関進学校である京都洛南高校へ入学できたのは、英語、国語を中心とする基礎学力があったからである。その学力を引き上げてくださったのが宇野さんである。このことは、改めて触れる。

さらに意識の点で、私を変えてくださったのが、高尾君のお母さんである。

3.高尾君のお母さんはその聡明な頭脳から、主婦にはあきたらず、私塾を経営されていた方である。

高尾君は、1学年上の、一緒に競泳を始めた、私の友人であったため、保護者つながりで、高尾君のお母さんは、私の母の友人でもあった。今、感謝を込めて、そのいきさつに触れる。

中学生(第三中)の頃、私は中学校内で浮いた存在だった。小2で皆が一斉に始めた明郷小学校スイミングクラブも、中学になった頃は、私1人となっていた。上述した、桒田先生が私の資質(特にスプリント力があったらしい)を見出してくださったため、私は週3回、B&G府中海洋センターへ通っていた。要は、第三中のくくりから、府中を代表する選手へ方向づけされていたのである。第三中水泳部は私1人だが広島県下で常に1~2位を争い、全中にも出場していた。
勉学においても、上述した宇野さんの指導もあり、普通にトップクラス。親が、第三中内の同級生がたいてい行く、同級生の親がやっている塾には行かせなかった。親の差し向けもあってか、私の意識は、田舎である父石町から離れ、都会を向いていた。
地元の高校(府中高校)に行くことが最高の栄誉であった田舎の常識からはかけ離れていたところに居たことが、周りから浮いている原因だったのかも知れない。思春期の難しい時期でもあり、私の鼻につくような言動もあったであろう。ある日、私が制服の上着を第三中の運動場に落としていたことに気づき、取りに行ったら、4~5人の男性同級生が皆で、私の上着を踏みつけていた。悔しかったし、どうしたら良いか、当時はわからなかった。そんなとき、母が、高尾君のお母さんが私塾をやってるから、行ってみよう、と言ってくれた。

高尾君は中学から、福山市内の私立中学校へ行ったので、なかなか会うことも無かった。高尾君のお母さんは、私が訪ねていったあと、少し会話をすると、こう言われた。

「あなたは、ここに居る器の人材じゃない。都会を目指しなさい。そして、さらに、どこまでも、もっと上を目指しなさい。それがあなたにふさわしい居場所。
決して、周りに影響されず、あなたの道を行きなさい。今日から、息子の部屋へ毎晩きて、一緒に勉強しなさい。息子にも刺激になるから。」

そう言われて、私はB&Gから帰宅する20:00頃、すぐ自転車に乗って高尾君の部屋に向かった。平均すると、23時頃まで一緒に勉強しただろうか。一緒と言っても、机を並べているだけで、自学自習。でも既に父石町を出て、大海(福山市)に出ていた高尾君の話には刺激があったし、わからないことを聞くと教えてくれた。洛南高校へ行けたのも、こうした環境のお陰だった。

振り返ると、高尾君のお母さんは、私に「暗示」をかけてくださったのだ。素直だった私はすぐ、この暗示を受け入れた。脳が「私はできる」と勘違いしたのだ。この良い意味での勘違いが重要なことは、成功哲学などで言われていること。私が述べるまでもないが、この私への暗示は、1兆円以上の価値がある。それは、私が、1兆円以上の価値を創造するつもりだからだ。

高尾君のお母さんは、私が高校時代か大学時代だったか、京都に居る頃に亡くなった、と母から知らされた。私の脳に勘違いをもたらしてくれた高尾君のお母さん。あなたは私の恩人の一人。まぎれもない、私にとってのミス・エルザとミス・ゾフィーだ。いまだに、励ましの言葉が脳に刻まれている。

天国から私のサクセスストーリーを見守ってください。必ず、あなたの心遣いに応えてみせます。

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