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明日もまた日は昇るだろう
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
新年一発目の記事ということで、こういうタイトルをつけてみました。
奇跡の9連休?いや毎日が奇跡だろ
世間では奇跡の9連休というものが終わり、普段通りの日常が戻りつつあります。
考えてもみれば、私は正月明けの仕事が嫌で嫌でたまりませんでした。
休みが長ければ長いほど、そう思いました。
もちろん、休みが短いのはもっと嫌です。
どっちにしろ嫌な気分になりました
今、2回目のニートになって実感しているのですが、
それだけ毎日必死で生き抜いてきた
ということなのです。
つまり、毎日何事もなく(たとえ何かあったとしても)終わったというのは奇跡です。
そしてまた明日が始まる。
明日が始まることに対する恐怖
社会人になってからというもの、明日が来ることが怖くなりました。
休みの日は天国、平日は地獄という日々を繰り返していたからです。
休みは普通、土日2日しかありません。
そして、日曜日はもう月曜日のことを考えている。
実質休みは1日しかないようなものです。
結局同じなのです
いくら逃げようとも追いかけてくる影のようなもの。
最初の1年5ヶ月の明朝午前3時は本当に地獄でした。
嫌なことから逃げたところで精神病は良くなりませんでした。
その状態のままで再就職しましたが、結果は同じでした。
完全に開き直って精神安定剤を飲み、前職よりかは幾分明日が怖くなくなったものの、恐怖は消えていませんでした。
自分は一体何に怯えているのか?
探しても探しても、答えは出ないままでした。
明日に打ち勝つために明日はやってくる
ジアゼパムの離脱症状に苦しみ耐えてきた2年余りをようやく振り返れるほど精神的に回復した今、ようやくわかってきた気がします。
明日が来るのはまだやり残しているからだ
人生100年時代とか言っていますが、そんなことは関係ありません。
病気、事故、災害、我々はいつ死ぬのか誰にも予測できません。
そう、それらはどんなに注意していても、起こるときは起こります。
私は、毎日のように明日が来ることに恐怖し怯えていた。
希死念慮に毎晩苛まれ、反出生主義にもハマった。
精神疾患になって約8年、ようやくわかってきました。
明日は打ち勝つためにやってくる
怖いに決まってる。
でも我々は立ち向かう。
どれほどの絶望に直面しても、それでも。
最後に私が絶望した毎日を過ごしていた時、死にたくなった時、本当に勇気をくれた曲を置いておきます。
本当に何百回も聴きました。