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自分は意思のない人間だと気づいた...

普段と違う環境にいるとアンテナが高くなりいろんなことに気がつく。
今回は何気ない日常の中で「え。俺って意思ないじゃん。」って感じたお話

僕は今までの人生で様々な意思決定を自分の意思のもとにしてきたつもりだった。進学する学校にスポーツ、仕事などやりたいと感じたことを実践してきた。(※その結果20代で3社も渡り歩いてしまった。。。焦)

そんな自分で意思決定をしていると自負していたはずの僕が些細なことで自分の意思がないことに気がつくことになった。

きっかけはブラジルの「信号機」

ブラジルの信号機はこんな感じである。

赤と青(緑)でデザインもほぼ日本のものと同じ。色が変わる時には点滅もするし、待ち時間だっていつもと変わらない。
見慣れた信号機という感じ。

これが僕にどのような気づきと与えたのか?

ブラジルのサンパウロはしっかりと歩行者信号があって道ゆく人も道路を無邪気に横切って渡るというよりは信号のところまでは歩いてくる。

しかし次の瞬間衝撃が。。。

赤信号でもとにかく渡る笑

みんなが信号で待っている時は赤信号だから止まっているんじゃなくて車が来ていて渡ることが不可能だから止まっている感じ。隙あらば渡る笑
年齢も性別も関係ない。みんな赤でも渡る笑

日本では「信号を守らない=ルール違反」でかなりタブーな行為だと思う。多くの人が信号を守っていて赤でも時々渡っている人もいるが小走りで少しばかり申し訳なさそうに渡っている。何かしらの事情があるのだろう。

そんな僕も日本にいる時は信号を守っている。渡りたい気持ちもあるがそんなことをしているときの周囲の視線の方が辛い。

さらに対角線上に共に信号待ちをしている子供がいようものなら正義感が働きなおのこと渡らない。信号を守る文化を伝えていく謎の使命感すら感じているところだ。

しかし、今ブラジルに滞在している僕の行動はどうだろうか。現地の人と同じように赤信号でもタイミング見て渡っちゃうのだ。

郷に入っては郷に従えとは言ったもので確かにその土地に合わせて行動した方が生きやすいのは間違いない。でもここで今回の本題である「自分に意思がない」ことに気がついた。

僕は日本にいる時に赤信号だから渡っていないのではなくてみんなが渡っていないからそれに合わせて渡っていなかっただけなのである。

僕はいかなる時も赤信号は渡らないという信条があるとするならばブラジルにこようがどこにいようが僕は信号を守っているはずなのだ。

結局僕は自分の意思を持って何かを判断・決定しているのではなく周りの様子を見ながら意思決定をしていたのだった。

ほんの些細なことで物事の大小はあるが自分の根本は「周りを見て誰かの意思決定に合わせている」のだ。

この教訓をどう活かしていくか。
何かしらの事象が発生した時にまず初めに自分はどう感じているのか?自分はどうしたいのか?これを毎回毎回自分に説いていくしかないと思った。ただ何となくや周りの人が言うからといったことで意思決定がされないように。

ありがとう信号!

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