波と波間にユラユラリ。
陰口の多い県民だなぁとつくづく思う。
今住んでいて、働いている「県民性」の事だ。
「4つの県がある島国」と言えば「あぁそこか。」の人です。
この4つの県民性を表現する「話」がある。
(この話も色々あって、どれが本当なのか分からないけれど。)
もし道端に「100円札が落ちていたらどうするか?」という話。
100円札なので、古い話なんだろうと思う。
ここは1万円札で想像して欲しい。
香川県民は「貯金をする」
愛媛県民は「商いをする」
高知県民は「飲みに行く」
徳島県民は「陰で誰が拾うのかをじっと見ている」
と・・・いうお話で、県民性を表現しています。
自分はもともと愛媛で生まれ、すぐに香川に移り住んだ。
出生地が愛媛で、出身県は香川。
今いるところは、電柱の影でヒソヒソやるのが趣味ですねん。のところだ。
どうもこの県民性に、ずっと合っていない。
陰口のたたき放題で、陰口をいう線と線を結んでみると、互いにどころか、
全員が全方向で陰口&悪口を言っているような県だ。
自分は開けっぴろげな性格なので、この県民から、
「あ。〇〇さん。こっちの人とは違うなー」と言われる。当然じゃい。
新しく執務室が変更になって、5人⇒23人の大所帯になった。
そこでの会話といえば、もう陰口悪口のオンパレードで辟易してしまう。
こんなところだ。
この中で「自分の評価」を気にしていたら、静かにニコニコしているしか
世を渡っていく術が無い。
今書いていて、馬鹿馬鹿しくなった。
自分は、陰口は叩かれるが、喧嘩は売られた事が無い。いじめられるような
見た目でも無く、性格でも無い。どちらかというと「オラオラ系」です。
だからこそ、陰口を叩かれるのはしょうがない事だし、挙句の果ては、
徒党を組まれて、追い出された事もある。
これって、自分個人の性格というよりも、この県民はそれを趣味のように
やっちゃうので、本当にたちが悪いんですね。
しかし。
これは男性だけの話。
女性が逆に強い。どんどんどしどし自分の意見を言い、機嫌が悪くなれば、
男構わずに喧嘩を売ってくるような人達。
けれど、そこには「怨」が無い。怒る時は徹底して怒るけれど、それ以外は
サラッとしている。自分とはとても気が合い、向こうも気兼ねなく接して
くれるので、友人はそこそこにいる。
オトコは・・・。もうしょうがない。
なにせ自分には言ってこない。下手すりゃ自分にニコニコ、そして手を
さすりさすりしながら話してくるヤツもいて、そんなヤツが、自分のいない
間に、あることないこと、眉毛を上下しつつ、にひひひひひと話している。
その瞬間を、先週見つけた( ´_ゝ`)
自分は「俺がおらんかったら、よーそんな事言うのぉ」と、呆れ顔で話す。
すると、60越えたおいちゃん(先輩)が、
「そんな事いいまっかいなぁ」と、自分の腕を持つ。
そして自分は諭すように、
「そんな事しとったら、全員敵に回すでよ?」と優しく言いましたとさ。
さっき、階段を登っていると、その姿を見つけた2人組が、1階のロビーで
聞こえているのにも関わらず、自分の悪口?というか、にひひひひ話を
していた。
それも60歳くらいのおいちゃんと・・・20代の冴えねぇ男である。
逆に階段を降りて「おつかれーーっす」と言うと、慌ててしまって、
2人共無言で目をそらすという、とんでもない行動に出ていた。
本当に馬鹿馬鹿しい限りだ。情けない限りだ。
我が邦楽の師。「サザンオールスターズ」の歌に「私の世紀末カルテ」
という歌がある。
アコギを「べーんべーんべべーんべーん」と、まるで琵琶法師の叩き出す
ようなメロディに沿って、桑田さんが吐くかのように歌う。
その歌詞の中に。
情に流せば弱気な態度と傍からなじられて
腹から怒鳴ると変わり者だと嗚呼避けられる
頭を下げればその場はなんとか凌げるが
見て見ぬ振りすりゃ自分が何だか惨めになってくる
他人(ひと)の視線と自分の評価にうろたえりゃ
春は柳さえユラユラリ
と・・・。
この作品は1998年のアルバム「さくら」に入っていた曲で。
その頃は聴いていてもなんとも無かった曲・歌詞が、今になると
ずしーんと心に響く曲だ。
しかし。
馬鹿馬鹿しい限りだ。と一刀両断して、自分らしさを押し殺さず、
自分は自分という中で、協調性を持ちつつ、日々仕事には向かいたいね。
しかし、世の中「なるようにしかならん( ´_ゝ`)」って気持ちも持って
いたほうがいいと思う。
なにせ「世知辛さ」で、息が詰まるような時代だものね。
ゆうさん