放浪癖。
僕は。
あ・・・。
そういえば・・・。
このnoteでは、自分の事を指すのに「自分」と書いていました。
小説「yuka」では「オレ」と書いています。
今後、一人称を指す場合で、文章に合うのであれば「僕」も使います。
僕はパニック障害になる以前に「放浪癖」がありました。
これは「失踪癖」と表現してもいいくらい、突然と飛び出したくなる障り。
この放浪癖が原因で、捜索願を3回ほど出され、警察のご厄介にも。
最初は中学生の頃。
深夜、そっと自宅から抜け出し、友人の家に行き、朝方まで遊んで自宅に
ひっそりと帰る。
しかし、なぜか帰らないまま、学校にも行かず公園に行き、山に登り、
夜は無人駅で寝る。という日を数日過ごしました。
高校になれば、自宅に帰る事はなく、友人の中華料理店で働きながら、
深夜に徘徊する。そして学校には行かない。
お金が貯まると、そこを飛び出して大阪や神戸に出掛ける。福岡の時も
あった。何をすることもなく、2~3日過ごして帰る。
この時に1回目の捜索願。
市役所を退職するきっかけになったのも、無断欠勤で、放浪を重ね、
親から部屋に外鍵を掛けられた。
親からすれば「もうなにをするか分からないから」という理由だと思う。
その外鍵を破って、深夜に車に乗り込み、広島の尾道へ。
そこで数日間を過ごし、そして岡山へ辿り着いた時に、警察に確保。
これが2回目の捜索願。
現場作業員時代。
福岡から韓国へよく遊びに行っていた。釜山や大邱へ。
仲間20人ほどとソウルへ行った時に、深夜の屋台で朝を迎え、
「もうここにいよう」と勝手に決めて、その屋台を手伝いながら、
1ヶ月過ごした。
これはまた書きたいと思うが、ヨルダンに行く話も出ていた。
そして日本へ帰国。福岡国際空港で確保。
これが3回目の捜索願。
パニック障害になって以来、この放浪癖は治まってしまった。
パニック発作を先に恐れて、1人で遠出が出来なくなったためだ。
この当時の。
放浪した時に撮影した写真が、数多くある。
そして、その時に付けた「紀行文」や「俳句」のノートもある。
僕は何かと、幼少期の頃から疲れていたんですね。
だから、小さい頃から「自分の人生を(どこかで)リセットしたい」という
欲望が、少しづつ積み重なっていたのだと思います。
かといって、突然の失踪なので、家族や友人、会社に迷惑を掛け、結局は
警察に確保されて家に帰るという、無計画な行動だったんです。
しかし、違う地で過ごす数日間~数週間の旅はかけがえ無い時間でした。
僕が住んでいる場所には「僕を含めた問題」がある。
「僕だけでは解決できない問題」がある。
しかし、色んな場所に「逃げ込めば」その悩みが嘘のように無くなる。
知らない土地であればあるほど、自分がその身そのままで変身できる。
最初は「今までの過去の決算」を。と思っていても、
「もうどうでもいいや。この場所で暮らしたほうが良い」となる。
そういった「心の解放からの虚脱&無力感」みたいなものが、
文字としてノートに書かれています。
もし、自分がパニック障害にならなければ。
これは1つの「悲観的な考えに打ち消された幸い」なのですが、
仙人みたいな生活をしていたと思います。
外界から離れ、自身の知恵と考えと対峙し、思いは全て捨ててしまって、
なにかの創作に打ち込むか、ただ生きるために食べるだけの日々か・・・。
そうならなかっただけでも、幸いだったんだろうなぁと、僕は思うんです。
しかし未だにですが「少しの憧れ」は持っているようで・・・。
ゆうさん