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東京の真ん中、江戸城(皇居)を極めませんか その2(和田倉門から外桜田門へ)
レトロもレトロ、東京の真ん中の真ん中の江戸城です。誰でも知っているし定番中の定番で情報も溢れているんですが、外せないポイントでもあり真っ先の載せます。「江戸城を極める」ということで、皆さんも案外見落としているところもあると思うので、一読頂けたら嬉しいです。同時に、江戸城のみならず内堀の周囲にある近代の遺構も沢山あるので、一緒に取り上げていきます。
「江戸城を極める」その2(和田倉門から外桜田門へ) です。因みに「江戸城を極める」は以下のようになっています。外堀については後日レポートします。
その1 (江戸城本丸から三の丸)
その2 (内堀 和田倉門から外桜田門へ) 本記事です。
その3 (内堀 平川門から清水門へ)
その4 (内堀 北の丸から田安門へ)
その5 (内堀 千鳥ケ淵から桜田門へ)
マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。
和田倉噴水公園へのアクセスは大手町駅が至近ですが、余裕があれば東京駅から行幸通りを一直線で歩くのもおすすめです。
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行幸通りは大正12年、関東大震災復旧事業によりお濠を埋め立てて造られたもので、皇居の正式な入り口です。行幸通りは皇室行事と外国大使の信任状捧呈式の馬車列が東京駅から皇居に向かうときのみ利用されています。
和田倉噴水公園は東京駅丸の内中央口と皇居とを結ぶ行幸通りに面した一角にあります。天皇のご成婚を記念して昭和36年につくられ、ビジネス街に隣接していてオアシスのようになっています。
和田倉門跡
江戸時代は「蔵の御門」と呼ばれていた和田倉門は、一般人は通行できず、武士だけが通ることを許されていたといいます。徳川氏が江戸城に入った頃、この辺りを蔵地としたので、この名称としたそうです。和田倉門は現在、石垣のみが残されています。門前の和田倉橋は江戸城木橋の形を復元した貴重な木橋です。
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和田倉門守衛所跡は、ここが皇居の入口に当たるため行幸啓の折に、歩哨が立った所と考えられます…とあります。和田倉門守衛所跡は現代から見ると、レトロではなく、むしろ前衛的、モダンなデザインで、際立って存在感があります。
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桜田巽櫓
城の隅角に造られた監視と防御を目的とする櫓が「隅櫓」ですが、江戸城で現存する唯一の隅櫓になっています。桜田巽二重櫓とも、単に巽櫓とも呼ばれています。本丸の東南が名の由来です。江戸城で現存する唯一の二重の隅櫓で、震災で損壊したのちに解体して復元されました。
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桔梗門
桔梗門は1614年(慶長19年)に造られました。門名の由来は最初に江戸城を築いた太田道灌の時代に、この近くに泊船亭があったと伝えられ、道灌の家紋の桔梗紋から付けられたといわれています。別名として、「内桜田門」とも呼ばれます。
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坂下門
江戸城の坂下門は、西丸大奥に近接する通用門として利用されていました。この門は江戸城西丸が造営された直後の時期に設けられたと伝えられ、現在では宮内庁の出入口として機能しています。坂下門の最も著名な出来事の一つは、1862年(文久2年)に発生した「坂下門外の変」です。この事件では、当時の老中であった安藤対馬守が水戸浪士に襲撃されました。この出来事は幕末の動乱を象徴する事件の一つとして知られています。
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二重橋と伏見櫓
皇居正門前には2つの橋が架かっており、広場から見て奥側にある鉄橋が「正門鉄橋」、手前の石橋が「正門石橋」。「二重橋」はこの二つの橋の総称であると勘違いされがちですが、正式には「二重橋」とは「正門鉄橋」のことを指しています。皇居前広場から二重橋越しに伏見櫓を眺めることができます。
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ここからの景色は間違いなく皇居を代表する象徴的な風景になっています。何となく見過ごされていますが、二重橋を望む場所にレトロな見張所が現役で使われています。戦前の建築と思われますが不詳です。二重橋とのレトロな組み合わせが絶妙で、これも和田倉門守衛所跡に劣らず立派な近代レトロ建築と言えると思います。
丸の内警察署 祝田町見張所
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外桜田門
一般的には桜田門と呼ばれています。枡形が完全に残っていて、外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造になっており桝形を構成しています。1860年(安政7年/万延元年)、大老井伊直弼がこの門外の堀端で水戸浪士らに暗殺される「桜田門外の変」が起きました。因みに江戸城の門のうち清水門、田安門、外桜田門が当時の原形を保ち、国の重要文化財に指 定されています。
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楠木正成像
楠木正成像は別子銅山開坑200周年事業として住友から宮内庁に献納されもので、東京美術学校の高村光雲らに依頼したもの。銅像は木彫の原型製作に約3年を費やし、完成に至るまで10年の歳月がかけられました。上野公園の西郷隆盛像、靖國神社の大村益次郎像と共に「東京の三大銅像」の一つとして数えられています。
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最後に、日比谷公園内に日比谷見附跡があり、見逃せません。江戸城の内堀に作られた内曲輪門のひとつです。元々は日比谷交差点の位置にありましたが、明治初期に取り壊され、石垣の一部が日比谷公園の中に移築されました。
日比谷見附跡
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ここまでで一区切りです。次は「その3 (平川門から清水門へ)」へ続き、内堀を反時計回りに歩きます。
この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのテーマ別「Th-01江戸城を極める」を基に街歩きをしています。記事の内容以外にも街歩き検証はまだですが、外堀を含めて江戸城のAll in Oneのガイド&マップになっています。こちらもぜひご覧ください。
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