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恋バナが出来ない女子だったあの頃。
こんにちは、のぞみ@心と身体の漢方おねえさんです。
『わたしのはなし。』のマガジンにスキ!をありがとうございます。
毎日書こうと思う~と言いつつ、
昨日は、思い立って「精油とメモリーオイルの在庫処分ページ作りたい🔥」と作業に夢中で、noteを書く体力も時間もなかった。。。。
私は、学生時代、恋バナが出来ない女子だった。
友達の恋バナを聞くのは平気だった。
恋の相談を受けることもあった。
だけど、自分の恋バナをするのは苦手だった。
恋愛リアリティーショーを見るのも苦手。
恋愛ドラマを見るのもあまり得意じゃなかった。
なんでだろうってずっと思っていた。
どの男子を選べば「お母さんとおばあちゃんにとって正解か?」
これが心の奥底にあった。
今でも覚えている、小3の頃。
友達数人で「好きな男の子にバレンタインチョコをあげよう」
という話になった。
私はその時、自分の好きな男の子じゃない
「友達がチョコをあげる男の子」にチョコをあげた。
元々、自分の好きな男の子の話をしてこなかった私。
相手が違うって気づかれることもなく、
「のんちゃんも○○くんのこと好きなんだね~」と受け入れられた。
私の好きな男の子は、
お母さんやおばあちゃんにとって正解じゃないかもしれない。
だから、友達の○○ちゃんが好きな男の子なら大丈夫だ、と思ったのだ。
幸いにして、友達の中で好きな男の子が被る事態が他にも何人か発生していたし、小3だったこともあり、付き合う付き合わないといったことまでには発展しなかったこともあり、友達とケンカやら仲が悪くなるってことはなかった。
私が自分の好きな男子について話せない、恋バナが出来ない現象は、アイドルや芸能人に対しても同じように話せなくなった。
母とおばあちゃんの目が気になるからだ。
母とおばあちゃんは良くTVの芸能人やアイドルに対して
「どの辺がかっこいいのか分からない」「チャラチャラ浮ついている」
「この人、なんで人気があるのか分からないんだけど」
「顔だけで、頭は悪いね。言葉の使い方がおかしい」
ネガティブな発言しか聞いたことがないため
いいな~かっこいいな。
この人、素敵だな。って思う人がいても、言えなかった。
そして、母やおばあちゃんの目だけでなく、他の周りの女子たちの目も気になるようになっていった。
この人を好きって言ったら「どこが?全然カッコよくないじゃん」とか
否定されるんじゃないかなという気持ちを持つようになって、
芸能人やアイドルに関しては、友達が好きだと公言している中で選ぶようになっていった。
「○○ちゃんが好きなんだよね~このアイドル」というかんじで
周りと同じように感じたりフリをして、選んだりすることが多かった。
だからこそ、恋愛の話を自分からすることができず、好きなものを自由に言えない、選べないというジレンマがあった。
自分の気持ちよりも、周りの目や期待を優先してしまっていたんだと思う。
それに、私の地元は田舎だ。
「○○ちゃんが▲▲くんのこと好きなんだって」
「△くんと◎ちゃんが付き合ったらしいよ」といった噂話はすぐに広まる。
これは、友達同士に留まらず、親にまで・・・
噂話で母の耳に入ったらたまったもんじゃない。
母の耳に入って「のんちゃんは▲▲くんが好きなの?どの辺が?全然素行よくないよね」とか「▲▲くんのお家は~」とか
とにかく、私の好きを否定されるのでは?という気持ちが強く、自分の好きな人について話さなかった。
今、思うとそれは、私が「正解」を求めすぎていたからなのかもしれない。母やおばあちゃんが望んでいる「正しい恋愛像」に合わせることが、自分の心の中で一番大切なことになってしまっていた。
自分が好きだと思うものを、自由に選んでいいんだと気づくまでにかなりの時間がかかった。
そして自分の選んだ「好き」「好きな人」を母やおばあちゃんに認めてもらわなくたっていいのだと、ようやく許可できるようになった。
そんな中、つい先日、高校時代の友達とご飯を食べた。
唯一、地元の友達で定期的に会っている友達。
もう20年以上の付き合いになる。
この友達に「元旦那以外」の恋バナをしたことがなかった。元旦那に関しても「結婚前提の同棲してから」話た気がする。
この子が地元で私の恋愛話の噂をするなんてことは無い 、と分かっていても。
「母に好きを否定される」を植え付けられた私の頭の片隅にあって、話すことが怖かった。
そして、どうやって恋バナを切り出していいのか分からなくなっていった。
でもね、ふと、先日、今の恋愛の話してみよう、と思った。話してみて、何だか自分が一皮剥けた気分になった。
何を怖がっていたんだろう。
そんな気分になった。
もう、怖がらなくていい。
好きな人を好きと言っていいのだ。
もし母に好きな人を否定されても、いいやと思えた。
私には、こうやって分かってくれる人がいる。
親というのは絶対的な存在だけど
それは子供の時の、自分一人で生きる術がなかった時の話だ。
もう、オトナになったのだから、
親がいなくても、ご飯をつくり、たべ、仕事をし、お金を稼ぎ、生きていくことが出来る。
これからはちゃんと自分の好きを表現していこう。
そう思って、今日も好きなことである「文章」を書いた。
書いて、癒して、癒して、生きる。
そうやって、生きていこう。
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