破壊と再生は表裏一体のはずだったのに
最近、緊急事態条項について密やかに話題になっている。別にこのことについて書きたい訳では無いから安心してほしい、けどこの話を聞いたとき僕はふと緊急事態ってなんなんだろう?エマージェンシーって?と思った。
僕は2001年に生まれた21歳なので、当然太平洋戦争、学生闘争(関東連合)は勿論、地下鉄サリン事件も同年に起きた阪神淡路大震災についても知らない。村上春樹がよく話題にしてるこの2つだけど、最果タヒさんが経験したこの大震災も、僕にとっては日本のヒストリーの一つだ。日本現代史の重要語句の一つだ。そして2011年に起こった、東日本大震災だって、僕は全く揺れもしなかった(ちょっとだけ揺れたらしいけど僕には分からなかった)岐阜県の自宅のテレビでその惨状をただ呆然と眺めていただけだ、やっぱりそこには実感がない。ただの歴史の一つ。
それでもやっぱり同時代に起きた悲劇だから目を閉じて、彼らを慮ることくらいしかできなかったけど、当時の僕は意味も分からず本気で祈っていたんだと思う。どうか安らかにって
所謂、緊急事態と言われるような大震災やら大事件、戦争やらなんやらについて、僕は知らない。知ってはいるけど、経験したわけではないからやっぱりそれを知っているとは言わない。だからこそ分からない、緊急事態ってどこからどこまでのことを言うんだろう。僕にとっては目の前の現実すらエマージェンシーだけど、それは平常だ。
まぁ、とはいえ東日本大震災とか、テレビで見ていただけの小学生の僕でさえ異常さが分かったからきっと非常時というのはかなり刻銘に僕たちにその現実を教えてくれるんだろう。だからそんなことを心配する必要はない。それよりも僕は再生と破壊が繋がっていることのほうが悲しいと思う。
一見再生のほうがポジティブに見える。けどそれはネガティブからのトランジットに過ぎない。ヤンキーが猫を拾ってギャップ萌えさせるのと同じだ。再生と破壊は繋がっているが、再生は必ず破壊のあとに起きる。常田大希が音楽を作るとき破壊と再生という言葉を使っていたけど、本物の破壊はきっとそんな生易しいものじゃないと思う。別にケチをつけたいわけじゃないけど、戦争の傷跡が70年以上も経った今でさえも残っているみたいに破壊はいつだって強力で再生したってもとに戻ったりしない。再生はいつだって後からやってきて、突貫工事をして帰る、ダボダボヒーローなんだ。
だからこそ僕は思う。破壊と再生は表裏一体のはずだったのに、どうして僕らは前に進み続けるのか、それはきっと破壊によって負った傷を忘れたいから、ある映画のタイトルを借りれば絶望に追いつかれない速度で走っているからなんだろうな。
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