お台所はどこ?
ドンドンドン、壁が何度か叩かれる。
友人が「運命みたいやなぁ」と言うけれど
私の顔は少しだけ青ざめて、口から吐き出したのは言葉ではなく泡だった。
それを見た友人は「何にそんなビビってんねん、私ら何も悪いことしてへんねんで、日曜日のお昼間に楽しんで何が悪いねん」とわざわざ壁の近くまで近づいて、まるでオペラ歌手のように響く声で叫ぶので、相槌を打つかのように、壁がドンと叩かれる。
「だいたいなぁ、あんたはビビりすぎやねん。この前かって、パソコンの電源ブチ切ってしまったってあたふたしてたやろ、そんなのゲイツはんが想像してないわけ無いやん、だから私は大丈夫やって、なんべんも言っとったのに、あんたは「あー、やってしまった」ばっかし、実際なんもなかったやないの」とまくしたてる友人の口の端に貯まる泡を見て、私は自分の口に残る泡と、友人の口の端に浮かぶ泡の違いを考える。
ぶつぶつと「成分は同じ、たぶん元素も同じ、分子構造も同じ」と私が言っている。
私が変なことばかり言っていたのが聞こえたのか、それとも友人の声が大きいのか、またドンと壁が叩かれる。
"しゃーない、私は大人しく料理するわ"
友人が壁沿いから少し離れると、まるで隣人とのコミュニケーションにでも飽きたかのように欠伸をすると私の肩を叩く。「なぁ、台所どこやっけ?」 友人は何度も私の家に来ているのに、ワンルームのわたしの部屋のキッチンの所在がいつも分からない。もしくは、彼女なりの冗談なのかもしれない。でも私には、それが本当なのか、冗談なのかの判断をすることができない。私は彼女ではないし。
だから、私はいつも少しはにかみながら「ここ」といって、扉の向こう側へ指を指す。「せやせや」とたどたどしい関西弁で友人は応答すると、扉の向こう側へ吸い込まれていく。
壁の向こうでは、まるでロジャー・テイラーのように隣人が私の部屋と彼の部屋をつなぐ薄い壁をリズミカルに叩いている。
彼女はそんな音には反応しない。ましてや、まな板に真剣に向き合う彼女はこちらへ振り返りもしない。私は彼女が今どんな顔をしているか分からない。言葉も発しないから、彼女ことが分からない。
だから、不安になる。私は気にしすぎだといつも彼女は言う。私だってそんなことは知っている。だけど、嫌だからこそ、私は肩甲骨が浮かび上がった薄い背中をいつまで見つめればいいのだろうかと思わざるを得ないのだ。
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