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2025年・俳句のこと
長年、年取ってからも楽しめる趣味を持ちたいな~って思ってきて、noteでのご縁で俳句と出会うことができて2月には丸三年となる。
何事も三年は続けないとその良さはわからないし「やってる」等と胸は張れない。好きです、自己流に詠んで楽しんでいます。のレベルに留まってはいるけれどまだまだ、それで充分と思う。
俳句に限らず文芸全般にそうだろうけれど、奥がもの凄く深くて頂上は限りなく高い。上を目指して上って行くのも有りだし、裾野をテクテクと歩くのも良い。どんな楽しみ方をしても良い、懐の深さがありがたい。
それでも、ずっと下手のままでいるよりは多少なりとも上達したほうが張り合いが持てる。学びの機会として句会に投句することと、俳句ポスト・俳句生活への投句は続けなくちゃと思っている。
実は自分にとって続けることのハードルは高い。毎月の締め切りを忘れそうになったり覚えていても投句できる句の用意ができていなかったり、時々そんな自転車操業になってるのが正直なところ。でも定期的に作句することで確実に数は増えていく。何もしなかったら0だけれど、例えば毎月5句作れば1年では60句、10年続ければ600もの数になる。
後は五七五のリズムを身体に覚え込ませること。俳句とも川柳ともつかないけれど、日々の想いを呟いていく。駄句・凡句以下だとしても生の感情や思考を現してみることで発散できるものはある。
リアルな句会も参加させていただいて、生で句評を語り合うことの楽しさも刺激となっている。
上達するため、続けるために大事なことは、辛口の句評を受け入れることと人と比べないこと、評価に振り回されないこと。他者からの句評というのはとても参考になる。けれどそれぞれを鵜呑みにしているだけだと自分の中で方向性が定まらなくなる。自分の中にまずは全て取り入れてから、考えて受け入れること自己流を貫くこと仕分けすれば良いと思う。
不思議なもので辛口の評というのは後で身に沁みて理解できたりする。その時にはわからなかったことが、ある瞬間フッと閃きとなって降りてきたりする。そんな面白さがある。
俳句ポストとか俳句生活、自分の句が選に入ったかどの選に入ったか、なんてことが気になるけれど、同じ兼題でこんなに多彩な表現があるんだな~ってことの方が学びは多い。類想なんちゃらとかいうけれど、その類の連想さえ難しい自分なのだから。
最近の自分の俳句事情など記してみた。なんやかんや言いながら3年近く続けられたので、これからも何らかの形で継続できるのではないかと思っている。
*俳句幼稚園の皆様、ひよこ句会の皆様。いつもありがとうございます。自分の未熟さ至らなさを感じて落ち込むこともありますが、それが伸びしろと思って精進いたします。これからもよろしくお願いします。