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ジリからのエベレスト街道クラッシックルート Day 5 ジュンベシ

今朝も早起き、6時半に朝食をいただき7時に出発する。

どうやらヒマラヤの麓のこの季節は、毎日午前中は素晴らしい天気に恵まれるが、午後からは雲が出てくる。かと言って雨が降るわけでもない。

眺望を堪能するには、午前中が勝負なのだ。結果として早寝早起の超健康生活。

今日はBhakanjeのDakchu(2,913m)から、この山のピークであるLamajura峠(3,501m)を越え、美しい村と評判のJunbeshi(2,696m)に向かう。

朝はアップルパイをいただいた。
もちろん出来合いなんかじゃない。早朝の薄暗い中、小麦を捏ねパイ生地から作っていた。
何でも自ら作る自給自足生活だ。

手作りアップルパイ

朝食もそこそこに出発しようとすると、カトマンズから遊びに来ている3歳の孫が絡んでくる。

うん?なんと僕に英語で喋りかけているではないか。

ネパールの英語教育、恐るべし。

さあ、午前中は怒涛の登り、目指すはLamajura(3,500m) 、3時間もひたすら獣道のような急坂を進む。

3,000mを越えたあたりが森林限界なんだろうか、急に視界が開けてきた。

そしてLamajuraのピークに到達。こんな山の上にも殺伐とした雰囲気のロッジがあった。
誰も客はいないのだろう。軒先で日向ぼっこをしている主人に呼び止めれた。「ニホンジン?ガンバッテ」

素晴らしい眺望の写真を撮りながらMountain peak! なんて言って喜んでたら、ガイドのライさんに諌められた。

ここはHill、アルパインエリアでしかない。Mountainとは5,500m以上を言うらしい。そもそもネパールには、1,300もの5,500m越えがあると。

日本の富士山なんてただの丘に過ぎないとは、さすがネパール。

Lamajuraからは、一転急坂をズルズル滑りながら降りていく。あんなに苦労して登ったのに、あまりにも勿体無い。

このズルズル道を下から上がってくる、真っ赤に日焼けしたオーストラリア人と出会った。

彼はなんと、僕と同じくJiriから歩いてヒマラヤを登り、折り返してJiriまで戻っているのだと言う。しかもガイド無しに。

聞けば64歳。気に入った村があれば2、3日滞在しながら、のんびり旅してるらしい。さすがAussie、スケールが違う。

お互いの旅の無事を願って別れた後はひたすら下り、Junbesi(2,696m)の村はずれにある大きな修道院に着いた。

JunbesiのMonastery

田舎の村に似合わない、物凄く立派な建物。日夜ここで僧たちが修行に励んでるんだろうか。あたりには、まだ5、6歳程度に見える僧衣を纏った小さな小坊主達もいた。

どんないわれで、こんな年齢で仏門に帰依したのか、僕には想像さえできなかった。

更にここから15分ほど下り、ようやく今夜の宿に辿り着いた。
まだ14時。先に進むか悩んだが、もう足は完全な棒状態。
僅か13kmの道のりだったが、激しい高低差で限界だった。

去年立て直したばかりのオシャレロッジ

2日ぶりにホットシャワーを浴びてスッキリ。エベレスト街道ではホットシャワーは貴重な機会なのだ。

気持ち良いロッジのテラスで優雅にビールを飲んでると、「あの〜、日本人の方ですか?」と居合わせた日本人に訊ねられた。

Jiriからの道のりは、トレッカーでさえほとんど出くわさないのに、こんな所で日本人に出会うとは驚いた。

この若者、大学院生でネパール民族の研究の為、シェルパ族が多く住むJunbesi村に一月も滞在しているらしい。

僕も村々に住む人たちの文化や歴史を見聞きするのは好きだが、これが仕事になるとは驚きだ。

でも、実際に大学で安定的な職を得て、稼ぐのは難しいらしい。
彼なりに将来を色々と悩んでいるようだった。

昨今、海外に行きたがらない若者も多いと言う。自らの意思で辺境の地を選び、研究者として歩む。いいじゃないか。

ガンバレ日本🇯🇵の若者!

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