ジリからのエベレスト街道クラッシックルート Day 2 ジリ
早朝6時、まだ薄暗いカトマンズ中心街のタメル地区から街外れのバスターミナルへ向かう。
昨日の喧騒が嘘のように静かな街を走り抜け、バスターミナルに着いたらまた驚いた。
各地へと向かうバスが、我先にとターミナルに押し入り、行き先を連呼する声が四方八方から鳴り響く。大きな荷物を抱えて右往左往する乗客が行き交う異常な光景。
溜め息しか出ないこの状況では、とてもじゃないが、ガイド無しに目的のバスに辿り着けない。
今回のエベレスト街道トレッキングではガイドを雇うか否かで随分悩んだ。
これまでも海外旅行は常にプライベート旅。自ら計画を立て、迷いながら進むのが僕のスタイルだった。
旅行ブログを読むと、ガイド無しトレッキング成功の投稿も頻繁に見かける。
でも今回は、高山病のリスクとネパール政府のガイド無しトレッキング禁止条例を鑑みて、トレッキングガイドを雇うことにした。そもそも年齢も若くはないのだ。
そして、このカオスな状況を見て、ガイドのありがたさを痛感した。トレッキングには全く関係ない場面ではあるけれど。
派手な装飾で、日本のマイクロバスを少し大きくしたようなバスは、ようやく喧騒を抜けて走り出した。
新たな街を通る度に、バス停?と思わしき場所で行き先を連呼して客引きが始まる。
何人かが集まってくるが、目的地が違うのか、運賃を交渉して諦めるのか、乗る人去る人がいる。
家の補習道具と思しき大きなパイプとともに乗車する人、米俵のような大きな袋を抱えた人、泣きじゃくる赤ちゃんを抱える人、有象無象の民が乗り込んで車内は常にいっぱいだ。
この状況下で、ヒステリーの如くクラクションを鳴らしつつ、先行車を次々に追い越し、凸凹道をぶっ飛ばす。
ほとんど命懸けの乗り物。
僕は、マジでヘルメットとシートベルトが欲しかった。
バス停で停まる度に、色んな行商人が乗り込んで来る。
お菓子セットを売る人、バナナを売る人、グアバを売る人、揚げ魚を売る人。
みな懸命に生きてるのだ。でも買う勇気は出ない。
ふと気付くと、皆がバスに備え付けの青いビニール袋を後ろに回している。
車酔いで吐いてる人があちこちにいるのだ。
無理もない。この凸凹で急カーブが続く山岳道。
ふと横を見ると、僕のガイドも吐き出した。山岳育ちは、クルマとは無縁の生活だ。山のガイドはできても、車中では完全グロッキー状態だった。
みな青いビニール袋に吐いては、道端に投げ捨てる。
よく見ると、道端は青いビニール袋だらけだ。次から次へと皆投げ捨てるんだろう。
一方では、車掌と老婆が揉めている。日本円にして、僅か数百円の運賃が払えないのだ。
これしかないんだ、とばかりに開き直って僅かなお金を投げ捨てる老婆。
金が無いなら此処で降りろとばかりに山中でバスを止めようとする車掌。
こんな光景が幾度もあった。
環境、貧困、僕は益々考えずにはいられなかった。
そんなこんなで大騒ぎなバスは、ジリまで僅か200kmの距離を、ほぼ8時間かけて到着した。
想像を絶する凸凹道と急カーブと山岳道では、思うようには進めないのだ。
ジリでバスを降りた僕は、ガイドとともに早速トレッキングを始めた。
今日の目的地はマリ。7kmの山道を約3時間かけて宿に辿り着いた。
辺りは既に薄暗くなり始め、昼間とはうってかわって、寒々しい夜が始まろうとしていた。
この激しい寒暖差も山岳気候の特長なんだろう。
この先の長い道中に不安を覚えながら、僕はベッドに入った。
まだ20時前、クタクタだった。
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