ジリからのエベレスト街道クラッシックルート Day 4 ダクチュ
前夜話し込んだ笑顔が絶えない優しい主人がチベタンブレッドなる手作りパンを朝から焼いてくれた。
パンケーキの硬いやつと言ったらいいだろうか。
ほんのり甘味と塩味を感じる優しい味。
でもふと思う。彼らはご飯やパン、ヌードルといった炭水化物はすごい量を食べるが、おかずは極めて質素。特に肉系が少ない。もちろん海のないネパールにシーフードは皆無。
こんな食事で毎日の重労働をこなし、何キロもの山道を歩くのが信じられない。
そういや、僕の子供の頃も、梅干しや海苔、漬物だけで、何杯もご飯を食べていたことを思い出す。
ネパールに来てからは肥満気味の人をほとんど見ない。かつての日本も。
そう言うことかと、妙に納得してしまった。
牧歌的な雰囲気のBhamdan(2,080m)を8時に出発。途中の村Kinja(1,569m)までは快調に下り道を行く。やはり下りは格段に早い。
前日に汗だくになった服やらタオルやらを洗濯し、外に干したのだが、全く乾いていない。
いや、むしろ夜露でビッショリだ。草っ原での物干しは失敗だった。
ザックに洗濯物を何枚も引っ掛け、乾かしながら歩く。
11時、Kinja到着。
ちょっと早いがランチにした。日本と違って街道沿いの食堂は、注文してから出てくるのに時間がかかる。誰も先客などいないのに30分は平気で待たせる。
無理もない、来るか来ないかわからない客の為の仕込みなどしていないのだ。
これもネパール時間と諦め、店の軒先に洗濯物を干させてもらった。食べ終わる頃にはすっかり乾いていたのは言うまでもない。
さあ、ここからが大変だ。果てしなく続く山道を再び登る。
登って登って、また登る。滝のような汗が流れ、ハアハアゼーゼーが止まらない。
この状況を予想して背負った1.5Lもの水を含むザックが肩に重くのしかかる。
ようやく辿り着いたSete村だが、まだ14時。日暮までには時間がある。翌日以降の苦行を思えば、少しでも先に進んでおきたかった。
更に登るが、雲行きが怪しい。
日が翳って急に涼しくなってきたが、むしろ汗だく急登にはありがたい。
15時半、小雨がぱらつきはじた時、Danchu村(2,913m)に辿り着いた。
まさにポツンと一軒家の如くのロッジに泊まる。三夜連続で客は僕らだけ。
ネパールは寒暖差が激しい。昼間は30度を越えるのに、夜は上着が欲しい。ましてこの高度まで上がると相当の冷え込みだ。
ここもキッチンは薪をくべる釜戸での調理。暖房器具なんて無いので、結局僕らも家族全員も、裸電球一つの薄暗いキッチンに集まり、釜戸で暖をとりながらの調理に食事となった。
夫67歳、妻62歳が切り盛りする宿。3歳の息子と里帰り中の娘。
絵に描いたような仲良し家族で会話と笑顔が絶えない。見てるこっちまで心が暖かくなるのを感じた。
聞けば、最近でこそ近くまで車が通れる道ができたが、使うことはまず無く、今でもシェルパの如く大きな荷物を背負い必需品を自ら担ぎ上げるらしい。加えて、たまに行商人が訪ねてくれるとか。
還暦を超えて、こんな生活を楽しそうにしてる二人に、ある種の偉大さを感じてしまった。
こんなに汗まみれになった日だが、この高地でシャワーなど望むべくもなく、臭い身体で疲れ切って寝てしまった。
徐々に野生に近づいていく自分を感じるのであった。
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