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自粛のおともに1輪の花

週末外出自粛なので花を買って帰った。

別に普段から花を飾っているわけではない。
自室は窓を開けられず換気条件は壊滅的、植物に申し訳なさすぎて普段は置いてない。それでも買いたいと思ったのは、アタマでは理解していてもやっぱり気疲れしているからだろうか。
確かに買うことを思いついたのが「スーパーで空っぽになったお肉売り場を眺めながら」だったので平常心でなかったことは認める。
(そういえば児童文学でお花がひき肉になる話があったような記憶がある。食べる気はないけれど)

花屋に買い物に行くのは本当にひさしぶりだ。
最寄駅のお店がなくなったのもあってここ数年は出先で眺めるだけ。
地元に新しいお店が最近オープンしたのは知っていたけれど、外から見えるのが鉢植え中心で行ったことがなかった。

改めて新しいお店を外側から眺めてみると1輪売りのものもいくつか見えたので、中に入った。
配置の関係で外から見えにくい所にあっただけだった。思ったよりも種類があったことにテンションが上がって、1輪だけならどれにしようと頭がフル回転し始めた。

いくつかある中で迷ってチューリップにした。
ファンシーフリルというかわいらしい名前と細かいひらひらのある花びら、葉が描く曲線のどこか肉感的な所にノックアウトされた。
自分の中で、チューリップが桜と並ぶ春の花だったことも決め手の1つだった。お店に行く前に散り始めた桜を見て、今年は早いなと思ったのも影響あったのかもしれない。

家に帰ってから、水!乾く!と適当な容器を探して入れた。
真っ白な部屋にピンクと緑いらっしゃいませ。
もう何年も自室にはお花を飾ってなくて花瓶も知識もない。買ってきたそのままなので絵的におかしいのは置いておく。

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今、写真のように置いてから半日ほど経った。
選んだ花は今の自分と部屋にぴったりだったようだ。これまであったものと同じように部屋に存在している。
そして違和感なく部屋の雰囲気や自分の気分を明るくしてくれている。これぞ植物のパワー、生命力!とふざけて書いてしまえばまあそれまでだが、普段散歩に出て緑を眺めるのと同じようなことを自室でやっているのかもしれない。
置いてあるのが机の後ろの棚なので、ついつい振り返ってながめてしまっている。今を乗り切る相棒がいるようで嬉しくなる。

コロナウイルスの話題が出始めてからずっと、普段と違う何かが積み重なってきた。
昨日買えたものが突然消える。ゆったり広い公園に普段の倍近い人がいる。
スーパーに行くと山積みのカートを押しながら“買わないと困るでしょ!だから‼︎”と電話をする人がいる。震災の時ですらなかったレベルの買い占めで、棚は空っぽ。起きていることも終わりも見えない。
「未知への不安が形になって、先が見えないことに不安になる」のループ状態だ。
そんな不確かさが増える中で花の存在は
「この花はキレイ」
という確かなものを自分に与えてくれている気がする。溺れてる時に浮き輪を手にした時のような、ちょっとだけ先が明るくなった気分。
…そんなこと考えるくらいだから、やっぱり地味にメンタルごりごり削られていたのだろうな。


ひとまず。土日の楽しみが増えた。
今自分がいるのはきっと、不安のぐるぐるループから少し横にずれた所。ささやかな確かさを手にしたことで少しだけ余裕ができた気がする。
あれこれやりたいことをやりつつ、ぼんやりと花を眺めてニヤニヤする時間もたくさん確保することにしようか。

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