あつまれ宝石の国
11巻でたね。
毎月追ってるのに改めて一気見することでしっかり致命的なダメージを負った。宝石の国のことを考えすぎて。
儚く美しい漫画、宝石の国の好きなところ書きます。
異様な主人公
宝石の国がツイッタートレンドに入る時は必ず「宝石の国は地獄」「心して読むべし」「読まない方が良い」といったツイートがバズっている。
正直「地獄」という形容はみな食傷気味だと思うけれど、この漫画に関しては仏教が通奏低音となっている(後述)のでマジの「地獄」が練成されている。
ただ、よくある鬱漫画要素のグロテスク表現は一切無い。(血や肉をもつ人間が存在しないので)
いじめや虐待といった描写も一切ない。
では何が「地獄」かというと、主人公の変貌が読者にとってあまりにも辛い。
うざったいほど無邪気で無力な主人公フォスフォフィライトは、物語が進んでいくごとに(以下ネタバレ)顔・体・思想すべてが跡形もなく変貌していく。
主人公の顔が途中で変わる漫画いくつありますか?
この漫画には漫画の古典的な原則とされる「主人公の一貫性」が一切ない。悲しいほど無い。
そもそも無能な主人公が持ち合わせていたのは「肥大な承認欲求」だけなので…。承認欲求を軸にして、残りの「主人公らしさ」全てがいつの間にか喪われてしまう。
しかし物語は変わり果てた主人公を軸に、進んでいくしかない。読者はフォスフォフィライトらしさが跡形もなくなっていく過程から目を逸らせない。
一貫性を失くした主人公が展開する物語には予測など立たない。予測不能の地獄。このギミックが宝石の国を唯一無二の地獄にしている。
繊細な人間関係
以上に主人公の一貫性の無さを指摘したが、これは他キャラクター及びキャラクター同士の関係性にもいえる。
宝石の国の魅力のひとつは、危ういほど繊細な人間関係。人間関係といったが、そもそも登場人物に人間はいない。メインキャラクターはみな宝石。そして宝石は無機物なので、死の概念すら無い。作中ではだれも死ねないまま、平気で数百年の月日が流れる。
途方もない時間の中で、メンバーが固定された人間関係は切羽詰まっていく。
物語序盤では仲良しだったキャラクターたちの中から嫉妬や裏切りが発生する。
みんな死ねない、だからこそ、そこに居るまま静かに変わっていく。他者への愛情、期待、哀憐、執着、嫉妬、憎悪。それぞれが腹に抱えたものを年月と共に膨らませていく。各々抱えたものとどう向き合っていくか、大切な人とどう向き合っていくのか。永遠を生きる宝石たちを巡る描写があまりにも切実で心が苦しくなる。
もちろん物語が展開していっても違和感を覚えるほど変わらないキャラクターや関係性も存在する。
変わらないこと、変わっていくこと。どちらも恐ろしく簡単なのに、歯がゆいほど難しい。
色濃い仏教思想
※仏教思想は必修事項ではなく知らなくても十分楽しめるけれど、更に宗教哲学を交えて鑑賞すると無限に楽しみ方が広がるという話
宝石の国は仏教思想がベースとなって作られているので、仏教の知識を身に付ける度に作品が鮮明になる。あのシーンは〇〇のオマージュかな?とか、あの人物は〇〇がモチーフだな…とか無限に考察が膨らむ。
私自身が浅学なので多く語れないが、「七宝」とか「弥勒菩薩」とかキーワードに調べると興味深い視点が得られるはず。
緻密な世界観
11巻特装版では、宝石の国の服飾文化や月の食文化などが図鑑形式でまとめられた言わば「架空文明の博物誌」が特典となっている。
全て現実世界とは異なる文化・生活史がまるで本物の図鑑のように著されていて、読み物として純粋に面白い。現実世界とかけ離れた宝石の国の世界に、どうしようもなくワクワクする。
11巻だけでなく毎巻、緻密に練られた世界観に沿った素晴らしい特典がつく。とにかく、楽しみ方が無限。
あつまれ!宝石の国
普段低俗なオタク喋りしかしないので文体も内容も変になっちゃったけど、宝石の国が本当に面白い。一生楽しめる。永久に宝石の国のこと考えてる。深く深く楽しめる物語なだけに、「人を選ぶ作品」とも言えてしまうけれど、深淵を覗く勇気のある人は是非読んで欲しい。深淵の先でどうしようもなく美しい宝石たちがこちらを見つめてくれているので…。