愛情枯渇人間ではダメですか
今年は-4kgするぞと意気込んで、早速軽く走ったり歩いたりしてきた。🐇
いつも在宅で家にこもりっきりで、
週の半分は家から出ない日も多かったけど
久々に外を歩くと気持ちが良かった!
しんとした冷たい空気も、歩いてると段々と心地よくなってきて、この冬の澄み切った空気感が大好きだなぁ。と。
意識的に外に出る1年にしたい。
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誰かに愛情をずっと求めてる
こんな感覚を最近自覚するようになった。
ずっと見えない不安感や寂しさに、
どうしようもできない悲しさに押しつぶされそうで、それをやっと言語化できるようになったというか。
自分のことを客観的に見れるようになったっていうのは、大きな1歩かもしれない。
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小さい頃から、ずっと寂しくて、
親にわがままや要求をひたすらにぶつけていた。
「応援してる」「ありがとう」「ごめんね」
「大好きだよ」
そんな言葉が欲しくて、聞いて安心したくて
「言って」って強要させたりしていた。笑
反抗期なのか、兄弟ではなく自分を見て欲しい、故の表現だったのか分からないけど、
親は呆れながらも、それなりに私からの愛情要求に、その都度答えてくれていた。
中学生、高校生になると、
私の愛情要求の矛先は友人へと移行した。
やたらと、「心友」「親友」「いつめん」って言葉にこだわっていて、
「私たち親友だよね」って言葉で確認したりしていた。
(今となってはその会話をした人で、仲良くしてる人は1人もいないのだけれど笑)
スマホを持ち始めたら、LINEの既読スルーが気になって辛くて仕方がなくて
恋人かな?っていうくらいの距離感や要求を、心を開いた友達には繰り返していた。
今思うと、本当にヤバい人。
自分が逆に、そんな友達がいたら地雷すぎて関わりたくない😶
もちろん、それが原因だったのか?
怖い って言われて離れていった子もいた。
その時は深く傷ついたけど、自分の振る舞いを考えてみると仕方なかったなぁと思える💭
そして、現在。
26歳、恋人にまた、同じことをしてしまっているのだ…💭
いや、学生の時とは違って、表面的にヤバいっていうのが分からないようにはしてるけど、
LINEの返事が返ってこないと何も手につかないくらい不安で、
「好きだよ」って言われて満たされても、その数時間後には不安になって、「好き?」って聞いてしまったり、
恋人がため息をついていると、「自分が何かしたんじゃないのか?」とすぐ不安になる。
生きづらい。とても生きづらいのだ。
アダルトチルドレンの人は、
子どもの頃に満たされなかった気持ちや愛情を、他者に求めてしまうという傾向がある。
親は、私の要求に答えてくれてはいたけれど、
それでも満たされきれなかったということなのか?
大事な人だからこそ、失いたくない。
この関わり方のままだと、ネガティブな関係しか築けない。
色々自分なりに調べて出てくることは、
というのが必ず出てくる。
そうだよな、分かる。
それが出来ればとても楽になる気がする。
だけど、頭の中では理解できるのに、心の奥深くに落ちてこない感覚だ。
世の中は、諸行無常で、誰かからの愛情の大きさも矛先も移り代わっていくのは仕方がないこと。
そんなことは分かっているのに。
永遠の愛、そんなロマンチックな言葉を信じたくなるのだ。
愛情枯渇人間、自覚した上で、
これからどう生きていくか、自分をどう受け止めていくか。
試行錯誤しながら、また新しい発見や考えがあったらnoteに記していくことにする🕊